文通ごっこ 4





〜From Sanji To Zoro〜



「ねえ、サンジさん。カヤさんのお見舞いにいかない?」
 そうビビから誘われて、サンジは即座に頷いた。
「もちろん。行くよ」
 クラスメイトのカヤは、ビビのもっとも仲のよい友人である。しかし、昔から体が弱く、季節の変わり目には必ずといって良いほど体調を崩してしまう。
 夏も終わりに近づいて、夜がたまにしんと冷え込むようになった。
 雨も降って、季節はだんだんと秋へと準備を進めていく。その過程で、カヤはやはり体調を崩してしまい、すでに今週一週間は学校に来ていなかった。サンジも心配をしていたところだったので、ビビの提案は有り難かった。さすがに友人とは言え、男子生徒が一人で見舞いに行くのは気が引けてしまう。
 ビビは良かった、とにこりと笑った。
「今日は、お手紙もあるから。すぐに渡したくて」
「あー、そうか、今日来たばかりだもんな」
 例の、山奥の姉妹学校からの手紙である。一月に一度のやり取りとは言え、ちゃんと続いていたのだ。
「カヤちゃんの相手は野郎なんだっけ。いいよなあ、幸せな奴だぜ。俺も素敵なレディと文通がしたかったなあ〜!」
「数が合わなかったのだからしょうがないわよ」
 大げさに嘆くサンジに、ビビは苦笑した。
「じゃあ、行きましょうか」
「コーザは? もちろん一緒に行くんだろ?」
 コーザとは、ビビの幼なじみである。たぶん、彼氏に昇格するのも近いとサンジは睨んでいる。強面だが、いいやつなので、サンジに異論はない。ビビがコーザと一緒に笑っている姿は、一見の価値があるとすら思っている。それくらい、ビビが気を許している相手だった。
 ビビは笑顔で頷いた。
「うん、校門で待ってるって」
「んじゃ行きますか」
 サンジは鞄をひっかけて立ち上がった。



 カヤはだいぶ元気を取り戻したようで、すでにベッドから起きあがってクラスメイトを迎えてくれた。
「カヤさん、元気そうで良かった」
 ビビもほっとしたように笑う。カヤは申し訳なさそうな笑みを乗せた。
「本当は、もう今日から学校に行けそうだったのよ。でもメリーに止められちゃって。前にぶりかえしてしまったことがあったでしょう? あれ以来余計にうるさいのよ」
「それだけ心配してるんだって。甘えときなよ。あ、これお見舞いの水羊羹。季節はずれだけど、まだ暑いからさ」
 サンジは鞄の中からタッパーを取り出した。後でメリーに渡そうと、テーブルの上に置いた。
「あとで食べてね」
「ありがとう、サンジさん」
「おいサンジ、おまえいつの間に持ってきたんだ。なまものだろ、それ」
 コーザが呆れたように言う。
「学校の調理室でちょうど作ってたんだよ。これなら胃にも優しいし。ナイスタイミングだなあ、おれ。さっすがだぜ」
「そういうところは抜け目ないよな、ほんと」
「ほめてる?」
「ほめてるほめてる」
 コーザとサンジの会話をバックに、ビビは鞄から手紙を取り出した。その途端、カヤが顔を輝かせた。
「もしかして、お山からのお手紙?」
「ええ。今日届いたから持ってきちゃった。カヤさん、すごく楽しみにしていたから」
「うれしい。返事が来るのって二ヶ月後でしょう? もう待ち遠しくて」
 にこにこと、カヤは手紙を受け取った。その表情は本当に嬉しそうに輝いていて、サンジは少しだけ手紙を書いた人間に興味を持った。
「カヤちゃんがそんなに楽しみにしてるなんて。そんなに良い奴なの? 相手」
「ええ、とっても素敵な人よ。いつも、あちらの生活を書いてきてくれるの。こっちじゃ考えられない不思議なお話ばっかり。裏山で熊を倒したりとか、川の中にいる河童と仲良くなったとか。巨大きのこの胞子で幻覚をみちゃったとか」
 カヤは目を輝かせて話す。
 サンジはコーザと顔を見合わせた。明らかに嘘だろ、という顔を二人ともしていた。ビビは苦笑している。
「お話を書くのが好きな人なのよね。私も読ませてもらったんだけど、カヤさんを楽しませようとしてくれているのがすごく伝わるの。……とってもいい人よ」
「へえ、名前なんてーの?」
「ウソップさん」
「ほほう」
 なかなか愉快な名前である。まあ、嘘でもなんでも、カヤが嬉しそうならいいか、とサンジは結論づけた。あちらの学校も、個性豊かな人間が多いらしい。
 ゾロも個性だけは豊かだ、とサンジは眉を顰めた。ウソップとはまるで正反対の個性である。
「みんなも、手紙受け取ったのよね。また書くのが楽しみね」
 カヤは、手紙を胸に抱きながら笑った。
「そうね。あ、そういえば、サンジさんの文通相手って、すごく有名人なのよ」
 ビビが思い出したように手を叩いた。
「へえっ!? 何で? あ、もしかして前科持ちとか?」
 やりかねん、と勝手にサンジは思った。
「もう、サンジさんってば。違うわよ!」
 ビビはもう一度、鞄から一冊の雑誌を取り出した。スポーツ雑誌のようである。サンジが手にしたこともないような種類だ。ものすごくマイナーで渋い色をしている。
「なんだそれ。剣道雑誌か?」
 コーザも横から覗き込んで来た。
「ええ。剣道に特化した専門誌なんですって。ナミさんが一緒に送ってくれたのよ。ほら、ここ。これがゾロさんなんですって」
 サンジがその紙面を覗き込むと、でかでかと一ページ見開きで、『ロロノア・ゾロ、全国二連覇』という見出しがついていた。素人でも、特別扱いされているとすぐに分かった。
「そういえば、趣味は剣道って書いてきてたな」
「そうなの?」
 サンジは、ビビに頷いて見せた。
「今回は三行書いて寄越してたんだよ。まあ、それでも少ねェけどさ」
 そうか、趣味は剣道というのは本当だったのか、とサンジは再び雑誌に目を落とした。
 写真の中に、サンジの文通相手がいる。こういう状態でお目にかかるとは思わなかったので、サンジは少しだけ戸惑った。
 初めて見るロロノア・ゾロは、正直凛々しかった。同じ男子高校生とは思えない迫力である。防具を取った時を狙ったものなのだろう。タオルに巻かれた頭から汗が流れている。試合直後だからなのか、それとも元からなのか、眼光は鋭かった。しかし、髪の色だけは珍妙で、緑色をしていた。
「格好いい人ですね」
 カヤも覗き込んでいた。ウソップさんのクラスメイトなんですよね、とにこやかに笑う。
「同い年とは思えねェ迫力だな」
「あら、コーザだって迫力あるわよ。昨日、目が合った中学生がおびえてたじゃない」
「あれはおれのせいじゃねえよ」
「そうかしら」
 サンジは雑誌から目が離せない。記事を読むと、ゾロは本当に強いらしかった。高校の剣道会では知らない者などいないのだろう。そんな印象を受けるような記事だった。
 ゾロの経歴を、サンジは目で追った。
 中学時代から剣道をしていて、高校に入った途端、全国一位となった。剣道は技術であり、若さだけで勝てるようなスポーツではない。一年生がその頂点を取るというのは、業界的に衝撃が走るほどのニュースだったようだ。
 サンジは、そんなことなどまったく知らない。剣道を間近で見たことすらないので、想像もできない。ただ、あいつはやる気のねェダメ人間じゃなかったんだなあ、と思った。
 なんか遠くなった、という気がした。もともと何も近づいてはいないというのに。
 ふと、記事を追いかけてて、ゾロの経歴に目が止まった。『亡き母の影響で剣道を始め……』とあった。
 亡き母。
 サンジは目を見開いた。
 彼は父子家庭なのだ。知った途端に、サンジは頭の血が冷えるような感じがした。
 自分は、前回の手紙に何を書いた?
 レシピを母親に渡せ、と書かなかっただろうか。手元にはないが、確実に書いた覚えがある。知らなかったとは言え、ずいぶんなことを書いてしまったのだ。知らなかった、などという言い訳はしたくない。
 傷つけてしまったのかもしれない。そう思うと、サンジはいてもたってもいられないような気持ちになった。
「サンジさん? どうかしたの?」
 雑誌を凝視しているサンジに、ビビが声を掛けてくる。
「……いや、何でもないよ」
 無理矢理ビビに笑いかけて、サンジは雑誌を閉じた。
「ごめん、用事思い出したから、おれ帰るね」
「え、サンジさん?」
「カヤちゃん、ゆっくり休養してね! また学校であおう!」
「はい。今日はありがとう、サンジさん」
「おい、サンジ?」
「悪いな、コーザ。じゃあみんな、また」
 いつになく慌しく出て行くサンジを、不審に思っているのだろう。それでもフォローする時間も余裕もなかった。困惑しているビビたちを残して、サンジはカヤの家を後にした。
 外に出て、サンジはたまらなくなって走り出した。
 ぐるぐると、さっきみた「ロロノア・ゾロ」の写真と、亡き母、のフレーズが回る。
 無性に、謝りたかった。あいつは無礼で失礼で、どうしようもない野郎だけれども、サンジが三行書けと言ったことを守ったのだ。かろうじて悪人ではないから、とのナミの言葉は本当なのだろう。
 正直、今日手紙を受け取った時、サンジはとてもうれしかったのだ。奴がサンジに興味関心などないのは一目瞭然で、また一行で済まされるのだろうとあきらめていたから、なおさらだった。素っ気ないけれども、ちゃんと三行書いてきた。ほんの少しだけでも、サンジを気にかけてくれた証拠なのだ。
 それなのに、自分は。
 知らなかったとは言え、ずいぶんなことを書いた。気にし過ぎだとはわかっている。きっと、ゾロは自分が書いた悪態の一つも心に響いていない。しかし、
「おれはそういうの、すっごい気にするたちなんだよっ!」
 おれのばか! と思いながら、サンジはアスファルトを蹴る。
 走り続けて、息が切れて、足が痛くなってきたころ、サンジは家にたどりついた。電車に乗ることなど考えもつかなかった。一駅分走ってしまって、サンジはぐったりとマンションのエントランスに蹲った。ひどく疲れた。しかし、頭の中は妙に冴えている。
 のろのろと立ち上がって、サンジは鍵を差した。エントランスのガラス扉が左右に開く。
 エレベーターに乗り込んで、家の前に立った頃には、サンジは自分がするべきことを決めていた。自己満足でもいい。また余計なお世話だと言われてもいい。
 鞄を放り投げて、慌しく部屋着に着替えて、キッチンへと向かう。ありったけの材料をかき集めてきて、サンジはまず、ボールに小麦粉をあけた。
 詫びる方法なんて、一つしか思い浮かばない。
 おれにはこれしかないんだ、とサンジはシンクの縁を握りしめた。



「おーい、ゾロ!」
 背後からシャンクスに呼ばれて、ゾロは振り返った。
「なんすか」
「相変わらず不機嫌そうな面しやがって、おめェはよお。ほら、これ。おまえ宛て」
「……なんだこれ」
 シャンクスが差し出してきたものをみて、ゾロは眉をしかめた。
 差し出すというよりも、すでに抱えていたものをどっかりと手渡された形になる。段ボールだった。しかも、けっこうな重さである。
 なんだか、こんなことが前にもあったな、と嫌な予感がしてきた。
「おい、これ」
「ああ、おまえの相手から」
「相手言うなよ」
「事実だろ。なんだ、驚かねえのか」
「まあな」
 ゾロはため息をついた。驚くもなにも、段ボールの一番上には、またしてもマジックで、『二年四組、ロロノア・ゾロへ!!!!!』とでかでかと書き殴ってあるのだった。
「まだ、交換時期じゃねェだろ? なんでだ」
「さあなあ。ま、交流目的の文通だからな。別に個人でやりとりしてもいいんだぜ? むしろ成功例っぽくていいじゃん」
「迷惑だ」
「そう言うなって。悪意じゃねえんだからさ。んじゃ、確かに渡したぞー」
 あー、重かった、と肩を回しながら、シャンクスは行ってしまった。これから部活に行こうとしていたのに、嫌なタイミングである。ただでさえ狭い部室に、こんな段ボールを持っていくことはできない。
 出てきたばかりの教室に引き返して、自分の机にどさりと置いた。
「うわ、ゾロ、なんだそれ」
 黒板を消していたウソップが振り返った。
「あら、またサンジくん?」
 残っていたナミが、段ボールの表面を見て笑った。
「相変わらず、予想外なことをするわね! おもしろいわあ」
「笑い事じゃねェよ」
「なんだ、ゾロの相手か? なになに、何入ってんだ?」
「相手言うな、ルフィ。ていうか、なんでいるんだてめェ」
「ん? ナミを迎えにきた」
 隣のクラスであるルフィまでもが、ゾロの席の目の前に座った。
 いつの間にかウソップもチョークの粉を叩きながら寄ってきて、ゾロの手元を見下ろしている。今すぐあけなくてはいけないような状況になってしまって、ゾロはため息をついた。この分では、部活に行くのは少し遅れそうだ。
 リクエストに応えた形にはなるが、ゾロも中身は気になった。次の手紙が来るまでに、まだ三週間以上もある。タイミング的には、こちらからの手紙がついたばかりなのだろう。一人だけ先に送ってくる、その真意くらいは知りたかった。
 サンジはいつも、ゾロの想像を超えている。ゾロとは思考回路が全く違うのだ。
「うっひょー! すっげー!」
「あらま!」
「すげェな! これ、全部食い物かよ!」
 ふたを開けると、ルフィ、ナミ、ウソップが口々に感嘆の声を上げる。ゾロもしばらく口が利けなくて、じっとこの中身を見てしまっていた。
 箱の中身は、様々な菓子で埋め尽くされていた。緩衝材を除けると、きれいにラッピングされた焼き菓子が次々と出てくる。味や種類ごとに付箋がついているようで、簡単な説明書きまでついている。入っている内容物は女々しいのに、字だけはサンジの見慣れた字面だった。
 マドレーヌ、クッキー、パウンドケーキ、ラスク、煎餅も数種類あった。しかもそれぞれ味を変えて数種類ずつ。そのせいで、結構な数になっている。
「ゾロ。あんた、いったいなに書いたのよ。おまえの料理が食いたいんだーとか書いたわけ?」
「……んなわけねェだろ」
「そうよね。……しっかし、すごいわ。ビビが言ってたのは嘘じゃなかったのね。店で売ってるようなレベルじゃない」
「なあなあゾロ、食っていいか?」
「ダメよ、ルフィ。これはゾロに宛ててきたものなんだから」
「えー、でもたくさんあんじゃんかよお」
「だーめ」
 ゾロは、菓子の中に埋もれるようにしてあった手紙を取り出した。
 三つ折りにされた便せんを開く。

『この間は悪かった。みんなで食ってくれ』

 珍しく、簡素な内容だった。こんなに菓子が入っているのに、伝えてくる言葉は短い。一体何を謝っているのか、ゾロには見当もつかなかった。何しろ、前回の手紙は悪態ばっかりだったのだ。その中のどれかを反省しているのだろうか。
 それとも、三行の手紙が気に食わなかったのかもしれない、とゾロは思った。いや、それだったら菓子など送りつけてこないだろう。
「さっぱりわかんねェ」
 とりあえず、今現在わかっていることは、到底一人じゃ食べきれない量だということだ。
「ルフィ、食ってっていいぞ」
「いいのか!? やったー!」
 ルフィは両手を挙げると、すぐさまマドレーヌを掴んで開け始めた。
「うほっ、うっめー!」
「ちょっと、いいの? ゾロ」
「ああ。みんなで食えって書いてあるしな。お前らも食えよ。おれは部活に行く」
「そう? じゃあ頂こうかしら。実はすっごい手を出したかったの」
「おれもおれも!」
「ああ」
 ゾロは煎餅だけを一枚取って、教室を後にした。
 部活の前の腹ごしらえ、と思いながら齧ると、醤油の香ばしい香りと味がした。
「……うめェ」
 本当に、市販のものと同じ、むしろそれ以上に美味しかった。料理人になりたいというのは本当らしい。
 一体何を考えて送ってきたのかはわからない。ゾロは手紙をもう一度読んでから、制服の内ポケットに畳んで入れた。
 煎餅はすでに残り少ない。ちゃんと乾燥剤まで入っているという徹底振りだった。
 もう一枚持って来れば良かった。
 ゾロは少しだけ後悔した。
 部室にたどり着くまでの間、ゾロはつらつらと、これを作ったサンジという人間のことを考えていた。妙な縁だと思った。






2010/01/12(拍手より転載)
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