文通ごっこ 5





「ゾロ、あんた週末東京行くんでしょ? 私も行くから、あんた一泊延ばしなさいよ」
「……ああ?」
 数学の証明問題を解いている時だったので、ゾロは少し反応するのが遅れた。しかも、せっかく解決の糸口が見つかりそうだったのに、解もどこかへ消えてしまった。
「くそっ、せっかく解けそうだったのに台無しじゃねェか。途中で話し掛けんじゃねェよ」
 がしがしと頭を掻いて、ゾロは横目でナミを睨みつけた。憎らしいことに、すでに解いてしまっているナミは、自習のプリントを人差し指と中指で挟んでひらひらと揺らしている。ゾロと目が合うと、ナミはにやりと笑った。
「写してもいいわよ」
「どうせ金取んだろ」
「失礼ね。無料奉仕よ」
「……おまえがか?」
 ゾロは思わず窓の外を見上げた。雪どころか、雹でも槍でも降ってきそうだと本気で思ったが、空はゾロの予想に反して透き通るような青い色をしていた。なんだかよけいに不吉な気がしてきて、ゾロは首を振った。
「いらねェ。おまえに貸しを作るとなにを負わされるかわかったもんじゃねェ」
「あら、失礼ね。いつ、だれが、あんたに、なにを強要したことがあったかしら? 五十字以内で述べよ!」
「国語教師かよ、おめェは」
「あ、ちょっと、無視するなんてゾロのくせに失礼よ」
 再びプリントに目を落としたところで、ナミのチョップが脳天に当たった。
「いてェな! なんだってんだ。休日つぶれるから、今やっておかなきゃならねェんだよ。邪魔すんな」
「それよ、その休日の話してんのよ、さっきから。まったく、理解力が乏しい男ね、あんたって」
 ゾロの机の上から、解きかけのプリントをナミがひっさらう。
「おまえな」
「いいから、話聞きなさいよ。ちゃんと写させてあげるわよ。タダで。もう一度言うわよ。タダで。まだ不安ならもう一回言ってあげるわよ、特別に。いい? タダで」
「わかったわかった! うるせェな! で、なんだってんだ?」
「あんた、週末剣道の大会で東京に行くでしょ」
「今更なにいってんだ。だから宿題残さないようにやってんじゃねェか」
「私も東京行くのよ」
「へえ」
 ナミが休日になにをしようが興味はなかったので、ゾロは彼女が持っているプリントに視線を移した。教室の時計を見れば、自習の時間は残り二十分を切っている。
「あからさまに興味ないって顔しないでくれる? 失礼だから」
「実際興味がねェからな」
「とにかく!」
 ナミはゾロのプリントを机の上にたたきつけた。藁半紙のくせに、ぴしゃりと鋭い音がたった。
「あんた、土曜日で大会終わりでしょ? 日帰りなんてケチくさいことしないで、一泊しなさい。大丈夫、宿は無料のところを押さえたから」
「無料? つーか、ケチくさいのはおまえだろ」
「うるさいわねェ。細かい男は嫌われるわよ」
「へいへい」
 ナミに反論することは疲れるだけなので、ゾロは早々に諦めた。プリントは部活の後にやるしかない。
「大会終わったら会場に迎えに行くわ。あんた、どうせ方向音痴だしね。いい? 入り口で待ってんのよ? 入り口が複数あったら、とりあえず正門がある入り口で待ってんのよ?」
 ナミの念入りな確認に眉をしかめながら、ゾロはナミに聞いた。
「どっか行くのか?」
 ナミはゾロのプリントの上に肘をついて、にこりとわらった。
「うん、ビビの学校」
「ちなみに、おれも行くぜ!」
 前の席から、ウソップが振り返った。にこやかに親指を立てて自分を指している。
「そうかよ」
「おいおい冷てェなあ、ゾロくんよ」
 奪い取ったプリントの解を写し取りながら、ゾロは顔を上げた。
「……どこに行くって?」
「人の話聞いてなかったの、あんた」
 爪を赤く塗っていたナミが、息を爪に吹きかけてから言った。
「だから、ビビの学校だって」
 会いに行くの、とにこりと笑った。
「へえ」
 ゾロは再びプリントに目を落とした。
 回答を写すだけなので、頭の中ではぐるぐると「ビビの学校」という単語が回っていた。
 ビビの学校ということは。
 あいつもいるのか、とゾロは思った。




 文通という名の、単位にもならない教師の点数稼ぎの姉妹校交流は、あと一回を残すところとなっていた。ゾロの側が出して終わりとなっている。
 最初はゾロよりも面倒がっていたにも関わらず、ナミはビビと大層親しくなっていたようだ。
「まさか会いに行くとはな」
「来年受験だろ? ナミは東京の大学進学志望だからな。色々下見もしたいらしいぞ」
「大学ねェ。お前もか、ウソップ」
「おれは志望校決まってっからな、一応雰囲気見るだけだ」
「へえ」
 ゾロは、隣を歩いているウソップを見た。普段はルフィとバカ騒ぎばかりしているにも関わらず、彼はきちんと将来を考えているらしい。
「お前はどーすんだよ、ゾロ。推薦か?」
「あー、どうだろうな。まあ今回の試合の結果によるんだろうが。推薦で通る所となると上京しなきゃなんねェからな。生活費もバカにならねェし。就職にするかもな」
「なんか勿体ねえ気もするけどなー。周りも放っておかねえだろ」
「周りは関係ねェよ。おれが決めることだ」
 そりゃそうだけどよお、とウソップは困ったように鼻の下を掻いた。
「というかゾロくんよ。君が働いている状況が想像できないのだが」
「うっせえよ。なんとかなんだろ」
「お前がそう言うと、そうなるような気もするんだよなー。不思議だよなー」
 そうこう話している内に、分岐点についてしまった。ゾロは右に、ウソップは左へ曲がると家に着く。
「じゃあな」
 手を上げて右に曲がったところで、ウソップから声が掛かった。
「ゾロ! 何かあったら相談しろよ! 頼りになんねーかもしんねえけどさ!」
 全く気の良い友人である。ゾロはふっと笑ってから、ひらひらと後ろに手を振った。
 コートのポケットに手を突っ込みながら、ゾロはぶらぶらと歩いた。いつの間にかすっかり寒くなっていた。今年も暖冬のせいで、あまり雪が降らない。吐く息だけが白い。
 アパートの門に手をかけると、キンキンに冷えていた。思わず身震いしながら、門を閉じる。集合アパートはしんと静まり返っていて、まるでゾロしか住んでいないような錯覚を覚えた。珍しく車の音もしない。
 家の中に入ると、ぬるい空気が纏わりついて、ゾロは一息ついた。すぐにヒーターの電源を入れる。
「さみいさみい」
 何となく独り言をもらしながらコートを脱いで、自室へと入った。
 自室は北向きのせいでいつも冷え込んでいる。さっさと着替えてリビングに戻ろうと思っていると、机の辞書に挟み込まれた紙切れが視界に入った。むっと眉をしかめて、ゾロはその紙を取った。かさりと音を立てて四つ折りの紙を開くと、見慣れた文字が目に入った。
『大会頑張れよ』
 ゾロにわーわーぎゃーぎゃーと書いてきたくせに、非常にそっけない一文が記してあった。何か書こうとしていたのか、便箋には少し筆跡が残っていたが、それは綺麗に消しゴムで消されてあって、ゾロには判読できない。元々、消して寄越した文字に意味はない。
 菓子を送ってきて以来、サンジの手紙はこんな具合だった。ゾロよりも素っ気無い。その前にもらった手紙には、『ナミさんによろしく』だった。全くもってふざけている。
 お返しに文句をつらつらと書いてやろうかとも思ったが、ゾロは筆を進める前に挫折した。言葉で言うのはたやすいのに、ちまちまと文字で書くのは面倒くさかった。苛々した気持ちもすっと挫かれてしまったように引いた。逆にあれだけ書いてきたサンジの分量に若干引きもした。
 仕方がないので、ゾロは一週間前に別便で届いた菓子の礼を書いた。勝手に送ってきたものではあるが、ちゃんと美味かったし、手紙以上に手間がかかっていることはゾロにでも分かった。言うべき礼は言わないと据わりが悪い。憮然としながら、ゾロはその一行だけを書いて送った。
 その返事が、これである。
 ゾロは手紙を畳んで、机の上に放り投げた。
 どうせ、ナミが情報を送って、ビビにでも聞いたのだろう。すっかりゾロに関心を失くしたのかと思えばこれである。
 理解に苦しむ。サンジという人間はよくわからない。手紙なんかじゃわからない。
 今週末、とゾロは大会のことを考えた。ビビの学校に行くというのなら、サンジもいるのかもしれない。あの用意周到なナミのことだ。ビビを通じて、引き止めているかもしれない。何しろ、ウソップの相手にも会いに行くのだと言っていた。ウソップがここ数日そわそわと落ち着きがなかった理由はこれだったのか、と妙に納得した。
 寒くなってきたので、ゾロはリビングへと引き返した。リビングは丁度いい暖かさになっていた。ソファにどかりと寝転がって、テレビをつけた。夕方の能天気なニュースが映る。東京の今日の天気は、と地方には関係のない情報が聞こえてくる。
『週末の天気は、全国的に晴れとなります。気温も例年より高く、春の陽気に近くなるかもしれません』
 んな馬鹿な、と一笑にしてしまいそうに寒いのに、お天気アナウンサーは台本を能天気に読み上げていた。
 春の陽気。はるのようき。
 何も考えていなさそうな単語である。何となくサンジに相応しいような気がした。
 そこまで思って、ゾロはどうして自分がこうしてサンジの事についてつらつらと考えているのか、分からなくなった。というよりも、バカらしくなった。会ったこともない人間のことをあれこれ考えたって仕方がない。
 もしも会うことがあったらその時だ、とゾロはごろりと寝返りを打った。
 ニュースはいつの間にか終わっていて、夕方の子供向けアニメに切り替わったようだ。アニメらしいオープニングの歌が背後から聞こえてくる。
 うつらうつらと聞きながら、ゾロは眠った。
 明日は東京である。早く起きなければならない。







2010/08/02(拍手より転載)
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