Nobody Knows





第二部


3



 ウソップの仕事は速い。
 職人気質なのか、自分の納得がいくまで凝るくせに、仕上がりも早い。たいしたもんだ、とゾロは自分にはとうてい無理な根性に恐れ入る。
「すごいな、特注だ」
 サンジも、いつもなら真っ先に申し訳なさそうに詫びるところなのに、漏れたのは感嘆だった。ウソップは嬉しそうに胸をはっている。
「どーよこの出来映え! おれは自分の天才振りにおののいたね! 座り心地という快適性と、機能性を存分に詰め込んだぜ! 背もたれと肘掛けの両方にクッションをつけたから、いつ倒れ込んでも痛めることはないぜ。背もたれは首のあたりまで高くしたから、頭が落ちることもないぞ〜」
「いいわね、それ。ちょっとウソップ、私のも作ってよ。外で寝る用と、海図書く用」
「いいぜ。材料費さえもら」
「よろしくね!」
「遮るなっ!」
「さあ、ごはんよ!」
「おい、ナミ〜」
「それより、飯にしようぜー!」
「今日は誰の当番だったかしら?」
「チョッパーよ」
 ルフィは机についてナイフとフォークを両手に持って、スタンバイしている。
「チョッパー、手伝うぜ」
「ありがとう、ウソップ」
 ウソップがキッチンに行くのを、サンジは見送っている。それから、椅子に視線を戻した。背もたれに手をついて、木の表面を撫でた。
「気に入ったみたいね」
 ナミがコップに水を注ぎながら笑った。サンジが給仕をしている時には手伝いもしなかったが、今はルフィを除いた全員が席を立って作業をしている。
 ゾロですら、机の上を拭いている。拭きながら、ナミとサンジの会話を聞いていた。
「うん、気に入った。ウソップって器用なんだな」
「そうよ。海賊旗だってウソップが描いたし、元々ラウンジにあった椅子もすわり心地が良いように改良してくれたしね」
「へえ、そうなんだ。すごいな」
「私の武器だって作ってくれたしね」
「武器? ナミちゃんも戦うの?」
「そうよ、だって海賊だもの。戦えないと生きていけないわ。まあ、強い奴はルフィとゾロとサンジくんの担当だけど」
「おれも?」
 サンジは驚いたようだった。声が少しだけ高くなる。
「あれ、言わなかった? サンジくんは強かったのよ」
「そうなんだ」
「ええ。蹴りが得意でね。自分の何倍も大きな敵でも、あっさり伸しちゃってたのよ」
「蹴りねえ」
 サンジは自分の足元を見下ろした。
「普通の足に見えるけどなあ」
「おまちどおさまー!」
 チョッパーの弾んだ声が聞こえて、ゾロは机を拭いていた手を止めた。布巾を畳んで、流しに持っていく。ウソップが皿を両手に持って歩いてくる。零さないようにと、皿にばかり視線がいっているので、ゾロは片方の皿を持ってやった。
「おう、わりいな、ゾロ」
「いや」
 皿の中でシチューが揺れた。サンジが作るものよりはとろみのある固めのシチューだった。
 そう言えば、ティエラという老婆が得意な料理だった、とゾロは思い出した。この船に乗った時に、サンジが懐かしそうに呟いていた。思い出す料理って言ったらあれだけだな、と少し寂しそうに笑ったのだ。
「ほらよ」
 ことん、とテーブルに音を立てて皿を置くと、サンジは立ったままじっと皿を見下ろした。
 何を考えているのか、何を恋しく思っているのか、わかるようでわからない。その表情からは何も読み取ることができなかった。
 座れよサンジ、とウソップに言われて、サンジは腰を下ろした。座り心地は良かったようで、ウソップに「ありがとう」と礼を言っている。ウソップは自分の作品を褒められて嬉しそうだった。
 やがて、シチューとパンという簡素な食事が始まった。誰も文句は言わないが、サンジの料理を恋しく思っていることが、彼らの表情でありありと分かった。




 食事が終わってから、ゾロは後部甲板へと足を向けた。空は薄い雲が平べったくかかっている。いつもわたあめのようなはっきりとした塊の雲が出ていることが多いので、珍しかった。おかげで、降りかかる日差しは柔らかい。
 これは昼寝をするに限る、とゾロは刀を脇に置いて寝転んだ。
 ゾロはすぐに寝に入るときと、ただ目を瞑っているときと、両方ある。今日は後者の方だった。風は温く気持ちがよく、すぐ寝入ってしまうのは少し勿体無かった。
 しばらくそよそよと撫でていくような風を受けていると、背にしている甲板から足音が聞こえてきた。
「あれ、寝てんの?」
 目を開けるとサンジがさかさまに映っていた。しゃがみ込んでゾロの顔を覗き込んでいる。
「何か用か」
「いや別に。用はないっていうか、まあ何と言うか」
 サンジは曖昧に笑って言った。
「ぶっちゃけ暇なんだわ」
 暇、という単語を聞くことが珍しくて、ゾロは呆れるよりも可笑しくなってしまった。コックとして働いていたときには朝から晩まで忙しかった。このコックは、記憶を失くしでもしない限り、暇にはなれないのかもしれない。
「んじゃ、お前も寝れば」
「だから、変な時間に寝ると、夜に寝付けねーんだって」
「酒でも飲めばいいんじゃねェのか」
「飲酒はチョッパーに止められてんだよ。なんだか色々薬飲んでるから」
「どっか悪くしてんのか?」
 具合が悪いようには見えなかったので、ゾロは聞いた。さかさまの視界で、サンジは少し眉を下げた。
「まあ、頭は悪くしてっけど」
「そういうことじゃねェ」
「分かってるって。もらってる薬は安定剤だってさ。気持ちを落ち着ける薬らしい。そんなのまで調合できるんだな、医者って。知らなかったよ。目覚めてからも安定剤なんてもらったことなかったし」
 あの島では、ある意味安定はしていたからだろう。
「なんか、すっごい気持ち良さそうだな」
 興味がわいたのか、サンジはゾロの隣にごろりと横になった。
「あー、波の揺れがわかる」
「立っててもわかるだろ」
「横になった方が強く感じるんだよ。あー、海に出てんだなあ、って寝るたびに思う。この下に地面がないってのが、まだちょっと不思議だよ、おれは」
 サンジは気持ち良さそうに伸びをした。
「そう言えばさ、北の街の崖に行った時のこと、覚えてるか?」
 唐突に話題を変えたので、ゾロには最初何のことかわからなかった。
 北の街、という単語を何回か反芻してから、ああ、と曖昧に頷いた。サンジを保護していた婆さんを担いでいった時のことだろう。
「あの時さ、崖にはあんたとティエラだけだっただろ? ティエラはあそこで何をしていたんだ?」
 崖、崖、と同じように反芻してから、ゾロは言った。
「孫の墓参り」
「そっか」
 やっぱりあの場所だったのか、とサンジは呟いた。
「ティエラ、元気にしているかな」
「あのババアなら殺しても死なねェだろ」
「あんたさ、もうちょっと言葉に衣着せられないわけ」
 嗜めながらも、サンジは笑った。
「でも、だよな。きっと今頃息子さんに文句たらたら言いながら、元気に暮らしているよな」
 会いたいなあ、という無言の言葉が聞こえたような気がしたが、ゾロは眠る振りをしてサンジとの会話を打ち切った。
 振りをしているつもりが、いつの間にか寝入ってしまった。




 正直なところ、ゾロはサンジを保護していた老婆の顔を、あまりよく覚えていない。元々人の顔をおぼえることは苦手だった。何となくこういう輪郭だった、というイメージでしか残っていない。ティエラを北の街に連れて行った時、彼女を背中に負ぶさった時、彼女からは燻したような匂いがしていた。その後、家に入ったとき、羊肉の燻製が軒下にかかっていた。きっと自家製なのだろう。そのため、ゾロにとって、ティエラは燻した羊肉の匂いと一緒に思い出される。
 ティエラはさっぱりした老婆だった。
 北の街に付いて行った時にそう感じた。ナミがサンジを取り戻すと息巻いていたが、それは空回りして終わるだろうとすぐに分かった。
 とは言っても、分かったのはサンジを置いて崖の先まで付いて行った時だった。
「あの子の名前はサンジって言うのかい」
 そう、ティエラは崖の縁でゾロに問いかけた。背中を向けたままだったので、彼女の表情はわからなかった。
「ああ」
「そうかい。いい名前じゃないか」
 どういうものが「いい名前」なのかわからなかったので、ゾロは特に返事をしなかった。
 ティエラは崖の縁ぎりぎりまで歩くと、膝をついて座った。彼女の前には、小さな墓標が立てられていた。彼女の影にすっぽりと収まってしまうくらい、ささやかな墓標だった。
「そりゃ誰の墓だ」
「言いにくいことをずばっと言う奴だね、あんたは」
 ティエラはくつくつと笑った。
「これは、孫の墓さ。まあ、こっから落ちてしまって、遺体もあがらなかったから、ここから落ちたっていうただの印のようなものなんだけどね」
「そうか」
 ゾロは相槌だけを打った。見下ろした墓標は古かった。所々苔が生えてもいる。しかし、綺麗に手入れされていた。刻まれている名前はゾロからも読みとることが出来た。刻まれた名前を見て、何となく納得した。全てを察することは出来なかったが、おおよそのことはわかった。
「亡骸をみられないのはつらいものだよ。いつまでも期待してしまう。いつか戻ってくるんじゃないかってね。そんなことはあるはずないのに」
 ティエラは両手を合わせた。
 一心に祈っている老婆の後ろから、ゾロは刻まれている名前を見つめた。
「あの子はあんたらにちゃんと返すよ」
 安心おし、といいながらティエラは立ち上がった。
「今いろいろ準備してるから、それまで待っとくれ。あの麦わらの子にもちょっとお願いしてるんだ。あの子は面白いね。サンジを返せ、とは言わなかった。助けてくれてありがとう、と頭を下げたよ。それから、『お礼にばあさんのして欲しいことを何でもする』と言った。だから、遠慮なく頼みごとをしてやったよ。そのくらいはいいだろう?」
「ああ」
 ゾロは頷いた。全く、行動が早い船長である。ゾロは自然と笑みがこみ上げてきた。やっぱり、ナミのサンジ奪還作戦は空回りに終わるのだろう。そして、自分がこうして柄にもなく行動していることも、空回りに終わった。
 やれやれ、とゾロは伸びをした。海沿いだというのに、ここは風が穏やかに吹いている。
「あんたはあの娘みたいにぎゃーぎゃー言わないんだね」
「あれはそういう役回りなんだ。まあ、悪く思わないでくれ」
「思わないさ。あんたたちにしてみれば、こっちが悪役なんだからね」
 にやりとティエラは笑った。
「おい、ばあさん」
「なんだい、小僧」
「ありがとう」
 ティエラはまじまじとゾロを見上げた。
「おれも礼を言っておく」
 ゾロは頭を下げた。
 ティエラは、サンジをただ孫の代わりにしているのではない。彼女の孫とは別人だということもちゃんとわかっている。ただ、放っておけなかったのだろう。孫と同じように海に投げ出され、そして生きていたサンジを。記憶をなくして途方にくれていたサンジを。彼が生きやすくなるようにと、孫の名前を与えた。ただそれだけなのだ。
「最近の若者はよくわからないもんだよ。あの麦わらの子といい。あんた、外見と内面がちょっとズレてんじゃないのかい」
「斬るぞ」
「おお怖い怖い! 最近の若者はこれだから!」
 はっはっは、と笑いながら、ティエラは崖に背を向けた。
「さ、行くよ」
 サンジが待っている林の方へと歩いていく。ゾロは最後に墓標を目に留めた。日の光が当たって、木肌の文字はもう確認できなかった。
 ティエラの行動は本当に早かった。
 孫の墓守を、その帰る足で頼みに行き、家に戻ればルフィが息子を連れてやってきた。根回しの良さには、ゾロも正直驚いた。こんなに早く事が進むとは思わなかった。ナミなどは、ルフィに対して怒りをぶつけることしかできなかっただろう。
 ティエラは鮮やかだった。いっそ唖然としてしまうくらいに鮮やかだった。残りたいと言い出すだろうサンジに、その言葉を発する隙を与えなかった。あえて、彼の居場所を奪った。ここに居ていいと言ったティエラ自身が剥奪したのだから、彼女も辛かっただろう。何しろ半年だ、とゾロは思う。半年という時間は長い。すっかり情が移っていたに決まっている。
 混乱しているサンジを、半ば強引に船に乗せてきた。考える暇も与えずに連れ出してきた。
 海への拒絶はなぜかすっかりなくなっていたから、大丈夫だとも思っていた。
 そうした全てのことを、サンジにお構いなく強引に進めたことも、こうして弊害が出てしまったことの一因なのかもしれなかった。
 何もかもがうまくいかない。
 あの嵐の後から。
 



 目が覚めると、空はとっぷりと暮れていて、星が瞬いていた。新月のようで、月はない。霞がかっていた雲もすっかり流れ、見事な星空が広がっていた。
 余りにも星が明るいので、ゾロはしばらく夢の続きかと思ったくらいだった。
 周囲を見回すと、当然ながらサンジはすでに居なかった。夕食も食いはぐれたようで、船はしんと静まり返っていた。
 このままもう一度寝ようと思って、ゾロは男部屋へ下りていった。
 扉を開けると、健康的な寝息が聞こえる。一応静かにドアを閉めて、ゾロは自分のハンモックへと足を向けた。
 念のため確認してみれば、サンジもちゃんとソファで眠っていた。
 足音を消して、枕元にしゃがみ込む。先ほどとは逆である。サンジは間抜けそうな顔をして眠っていた。苦しそうな様子もない。
 額に手を当ててみたが、ちゃんと平熱だった。
 昨晩の熱はあっさりと下がったらしい。
 手がソファーの下に投げ出されていたので、何の気なしに拾うと、ばさりとノートが落ちた。
 見覚えがあるような気がして拾ってみれば、コックのレシピ集だった。戸棚に締まっておいたのを、また引き出してきたらしい。眠る前に読んでいたのだろう。
 料理はできない、とキッチンに立つことをしないのに、どういうつもりなのだろう、とゾロは訝しく思った。思い直して、持ち回りの当番に加わる気なのかも知れない。
 船室は暗いので、ノートの文面は読めない。元々読むつもりもなかったので、ゾロはノートを閉じて枕元に置こうとした。
 閉じる直前、ノートの端書に目が留まった。薄暗くてとても凝視しないと読めないくらいなのに、なぜかその文字はすぐにゾロの目に飛び込んできた。
『11月11日、ゾロ誕生日』
 その下には、当日のメニュー案なのだろう、いくつかの料理名が書かれていた。眉を顰めて読めば、どれも当然のことながらゾロの好物だった。こんなの食った覚えがねェぞ、と憮然としたが、すぐに、前回のゾロの誕生日の時には、サンジは居なかったのだと思い出した。
 とても誰かの誕生日を祝っているような余裕はなく、ゾロもすっかり忘れていた。
 嵐に遭っていなかったら、この料理が全て食べられたのかもしれない。
 ゾロはノートを床に叩きつけたくなった。びりびりに引き裂いてやりたいとも思った。辛うじて堪えて、眠っているサンジの枕元に置いた。
 見下ろすサンジは、かすかに口をあけて寝入っている。
「……戻って来い」
 目が覚めているサンジには決して言ってはいけない言葉を、ゾロは口にしていた。
 戻って来い。
 光が入らないので、サンジの金髪も暗く翳っている。
 ソファに背を持たれかけさせて、ゾロはサンジの寝息を聞いていた。それは、波の揺れと同じくらい規則正しかった。
 投げ出した足を見ながら、ゾロは決して思い出せなかったコックの最後の言葉を思い出した。あれだけ思い出そうと考えていても、全く思い出せなかったというのに。
『食いたいモン考えとけ』
 海賊を蹴散らすためにラウンジを出るときだった。忙しなく立ち上がった背中に投げられた言葉だった。
 その言葉に、自分がどんな返事をしたのか。そもそも返事をしたのかすら、ゾロは覚えていなかった。





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