Nobody Knows





第一部


6

 ティエラは町の雑貨屋にいた。月に二回ほど、エルマーが配達するところでもある。南の町へ嫁いだ娘から、手紙を届けているのだ。彼は喜びをあらわにすることを嫌がるのか、エルマーが来ると顔をしかめる。しかし、手紙を受け取った瞬間、顔が弛むのを知っている。
 今日訪れた雑貨屋は、いつにもまして無愛想だった。ティエラとどういう馴染みかは知らないが、そこそこの付き合いはあるようだ。年は親子ほども離れているだろうに。
「じゃ、後は頼んだよ」
 ティエラはそう言うと、雑貨屋から出てきた。
「ほれ、緑の」
 ゾロを手招いて、ティエラはにやりと笑う。その意図がわかったのか、ゾロは盛大に溜息をついた。
「またかよばーさん」
「お前さんが連れてきたんだ。責任持って連れ帰んな」
「ここに来たがってたのはババアだろうが!」
「おれが背負うよ、ティエラ」
 これ以上、赤の他人に任せるのも悪い。そう思って提案したのに、ゾロは舌打ちしてからティエラの前に背中を向けてしゃがんだ。
「乗れよ」
「おい、いいのか」
「てめえは足痛めてんだろ。自分の心配しろ、自分の。二人は無理だからな」
 見抜かれていたらしい。
「なら、今日はここで泊まっていこうよ、ティエラ」
「そんな金があるかい」
「……そうでした」
 今から帰ると、日が暮れるなあ、とエルマーは肩を落とした。疲れた、とベッドに沈みたいのを我慢して、歩き出した。




 やっとの思いで家に戻ると、家の中には明かりがついていた。点けたままだっただろうか、と首を捻りながら中に入ると、ゾロの仲間たちがいた。それも勢ぞろいだ。
「こんばんは。お邪魔してるわよ」
 赤毛の少女が、椅子に座ってにこりと笑う。
「こんばんは。留守中にごめんなさい」
「おれは止めたぞ!」
「おれもだ!」
 黒髪の女性と、長い鼻の少年、そしてトナカイまでいる。しかし、もう一人、記憶にあった麦わら帽子の少年はいなかった。
 どういうこと、と問い正す前に、ティエラが「来たね」と赤毛の少女に言った。そして、
「こいつをあんたたちに返すよ」
 エルマーの背中を叩いてそう言った。




「ティエラ?」
 今なにを言った? どういうこと? と問いかける前に赤毛の少女が頷いた。
「交渉の手間が省けたわね。よかった、返してもらうわ」
「ちょ、ちょっと待って、そんな勝手な」
「うっせえな。いいから帰るぞ」
 ゾロがエルマーの腕を引っ張る。そのまま連れていかれそうな勢いで、エルマーは必死で抵抗した。
「剣士さんちょっと待ってちょうだい。彼は海にでられないのよ。もう少し待ちましょう」
 黒髪の女性がゾロを窘める。
「そうだぞゾロ。強引に連れていって、また発作が起きたら一大事だ!」
 トナカイがいつの間にか足下まで来ていた。エルマーの左足にしがみついている。
「わかったよ」
 やれやれ、とゾロはため息をつく。やれやれと言いたいのはこっちだ。エルマーはティエラに向き直った。
「ティエラ、どうして。おれはここにいてはいけないの?」
「あんたは、あたしの血縁でも何でもないよ。拾ってやったら記憶をなくしていたから、勝手に作った設定さ。あんたの本当の名前はあたしも知らないね」
 ティエラは定位置の椅子に腰を下ろした。
「あんたはそこにいる奴らの仲間で、『サンジ』と言うのかもしれないし、もしかしたら全く別の人間かもしれない。少なくともあたしがいえるのは、あんたは『エルマー』じゃないってことさ」
 エルマーは呆然と立ち尽くすことしかできなかった。言われていることを理解していたけれど、納得はできなかった。頭の中で、必死に否定しようとしている自分がいる。
 赤の他人。赤の他人に、どうしてここまでしてくれるだろう?
 瀕死の面倒な人間だった。いつ死んでもおかしくないと医者に言われていた。目覚めて三ヶ月は体も十分に動かせなかった。食事を運び、体を拭いてくれ、心配はいらない、と声をかけ続けてくれた。あれは幻なんかじゃない。
「ティエラ、ほんとのこと言ってくれよ」
 彼女の真意が見えなくて、つらかった。懇願するように見下ろせば、ティエラは少しだけ困ったような顔をした。
「ばーさーん! 来たぞー!!」
 そのとき、場違いに明るい声が割り込んできた。ドアを蹴破るような音とともに。驚いて振り返れば、ドアは実際に蹴飛ばされていた。
「いってえなあ、って、ルフィ! おめえかよ!」
「ちょ、ルフィ!? あんた一体どこ行ってたのよ!」
 長鼻の少年と赤毛の少女の言葉を無視して、麦わら帽子が近づいてくる。彼は帽子のつばの下から目を覗かせて、にっかりと笑った。
「よお、サンジ!」
「はあ」
「ちょっと待ってろな」
 なにを、と聞き返す前に、ティエラが言う。目は麦わらではなく、彼が抱えている人間に向いていた。
「坊主、もしかしてそれは」
「ああ、めんどうくせえから連れてきたぞ」
「あの子をかい?」
「そーだぞ? ほらおまえ、着いたぞー」
 どさり、といささか乱暴に、抱えていた人間がおろされる。中年の男だった。
「おおい、もっと丁寧に扱えねえのか小僧!」
 顔を上げた親父は、不機嫌そうに麦わらを見上げて、それからティエラを見た。そのとたん、眉がひそめられる。
「生きてたか、ババア」
「ふん、あんたこそ元気そうだね」
 鼻で笑ってから、ティエラは麦わらを睨み上げた。
「あたしは単に手紙を届けろといったはずだけどね。本人を連れてくる必要なんてこれっぽっちもなかったんだよ」
「いやあ、手紙読んでぐだぐだ言ってるからよお。面倒で連れて来ちまった。わりいな、ばーさん」
 麦わらは悪びれない。
「よし、じゃあサンジは俺たちがもらってくな! 約束だもんな」
「ああ、もちろんだよ。ただ、もう少しだけ待ちな。このガキに説明しなきゃならないからね」
「どんくらいだ?」
「明日の朝、宿屋に行かせるよ」
「わかった」
 二人だけで話は進む。エルマーは状況が理解できずに、戸惑うことしかできなかった。
 麦わらは、エルマーを振り返った。じっとまっすぐ見つめられてたじろぐ。鋭くはない。けれど、強い視線だった。それは一瞬で、すぐに邪気のない笑みが広がる。
「明日、待ってるぞ、サンジ」
 そう言い捨てると、麦わらはダイニングをでていく。
「おいルフィ! おまえなにやってたんだよ」
「そうよ! また勝手に行動して、しかもわけわかんない。説明しーなーさーいー!」
「いでで! ひっぱんなよナミ!」
「ふん、痛くないくせに!」
「私も引っ張りたい気分だわ、船長さん」
「ロビンもか? んじゃ引っ張っていいぞ」
「どんな会話だよおまえら」
「ルフィ、おれも引っ張っていいかー?」
「おお、いいぞ、チョッパー」
 そんなやりとりがしばらく聞こえた。ドアをでてからも少しだけ雑音としてエルマーの耳に届いてくる。
「あんたは出ていかないのかい」
「おんぶしてやったろ。おれのことはほっとけ」
「そうかい」
 ゾロだけが部屋に残っていた。エルマーは彼の姿を見て少しだけほっとした。どうしてそんな気分になるのかはわからなかった。
「ティエラ」
 呼びかける声が少しふるえた。
「エルマー、座りな」
 エルマーが頷く前に、連れてこられた中年の男が反応した。
「エルマーだと? 耄碌したかババア! あの子はとっくの昔に死んだだろうが!」
 エルマーは男の声に耳を塞いでしまいたかった。すべてが終わった、とだけ思った。



 麦わらが連れてきた男は、ティエラの息子だと言った。
 エルマーはテーブルに座って、ティエラと並んで座っている男を見ていることしかできない。彼はエルマーを見て、困ったように頭を掻いた。
「すまねえなあ、あんた。このババアにいいように騙されてたんだな」
「騙すとはなんだい、人聞きの悪い」
「事実だろーが! なに、勝手に他人を都合の良いように洗脳してんだよ!」
 ぎゃーぎゃーと言い合う二人を見て、エルマーは寂しさを感じた。自分といても、ティエラはこんな風に言い合いはしない。自分の方にも遠慮があるからかもしれない。
 ティエラは、息子を黙らせると、エルマーに向き直った。
「あんたは、エルマーじゃない」
 最後通牒を叩きつけられて、エルマーは俯いた。
「嵐の翌日、あたしは珍しく海岸に行った。そこであんたを拾ったんだ。ほんの軽い気持ちでね。あたしじゃあんたを抱えられないから、宿屋の息子に頼んで、医者を呼んでもらって、容体が落ち着いたからこの家に連れてきたんだ。まさか何も覚えてないなんて思わなかったからね。目覚めたらがっぽり治療費請求するつもりだったのさ」
「おいおい、ババア。とんでもねえことしてくれたな!」
 焦ったように、息子が食いかかるが、ティエラは無視をして続ける。
「あんたは何も覚えていなかったから、あては外れちまったけどね。せっかくだから、労働で返してもらおうと思って、あんたにエルマーと名付けたんだよ。血縁だってことにして、町のやつらも簡単に騙されちまった」
「エルマーってのは、俺の息子だ。もう二十年も前に、海に落ちて死んじまった」
 苦虫を噛み潰したように、息子が言う。
「あのときは、ババアを恨んでなあ」
 それから息子が語った。
 彼の息子の『エルマー』は、たったの五歳でこの世を去った。あの時は、北の町でティエラと息子、そして彼の妻と『エルマー』で暮らしていたのだと。
 そして『エルマー』が五歳になった時、海に落ちて死んだ。
 しばらくの沈黙の後、息子は言った。
「『エルマー』が死んだのは、このババアが目を離した隙に起こった。ババアは森に生えているキノコを採りに行った。シチューに入れるキノコは、いつもそこで採ってたんだ。それに、『エルマー』が後ろからついていった。崖は危ないっていいきかせているから、決して森から出ることはなかったのに、その時は違ったんだな。ババアがキノコを取っている間に、海に出ちまった。崖に近づいて、下を覗いたんだろう。そしてそのまま落ちた」
 エルマーは息をのんだ。
 息子は苦く笑った。
「あの時は随分ババアを責めてな。いろいろ醜い争いをして、俺と女房は隣の島に移って、ババアはこの南の町に住み始めた。南と北は交流があるから、ごめんな、きっと町の連中は、あんたが本当に『エルマー』じゃないってことを知っているかもしれないなあ」
 たぶんそうだ、とエルマーは思った。
 きっとみんな、知っている。
 ぐるだとか、裏切られたという気持ちはなかった。逆に、そこまでして、自分の居場所を作ってくれていたのだと素直に思う。
「あれからたくさんの時間が過ぎて、俺も女房もやっとババアを恨むことをやめて、それで一緒に暮らそうと数年前から言ってたんだが、毎回断られててな」
 息子は、服の中からしわくちゃになった紙を取り出した。
「それが、昨日あの麦わらがやってきて、俺に手紙を預けた。開いてみれば、ババアからの手紙だ。そんなもの寄越したこと無いのに。しかも、また一緒に暮らしたいから、迎えにこいってな内容でな。驚いたよ、あんなに頑なに断ってたのに」
「色々と家事をすんのも面倒になっちまったんだよ。親不孝な息子に、最後は面倒みさせようと思ってね」
 ふん、と鼻を鳴らしてから、ティエラはエルマーを見た。
「だから、あんたはもう用済みなんだ。明日には出ていきな。そこの連中と一緒に行ってもいいし、町で働いてもいい。好きにしな。あたしも時期にこの島を出る。あの子の墓参りも済ませたし、知り合いに墓の手入れまで頼んできたんだ」
「ティエラ」
 呼びかけても、言葉が出ない。一人で後始末をつけてしまった彼女に、今更何を言えばいいのだろう。
 何も言えないエルマーをじっと見てから、ティエラは立ち上がった。自室へと引き上げたようだ。
「本当に、悪かったな」
 息子が代わりに謝ってくる。その様子からは、昔ティエラと拗れた名残は伺えなかった。母の代わりに、誠意を尽くそうとする息子がいるだけだった。
 ティエラが自室から出てきた。手には布のような物を持っている。彼女はゆっくりと歩きながら、エルマーの前に立った。座っているから、目線がちょうど合う。彼女はじっとエルマーの目を見ていた。
「これは、あんたが流れ着いた時に着ていた服だ。海水で傷んでるが、ほつれと破れている個所は直したから、まだ少しだけ着られるよ。あんたの唯一の持ち物だ。持って行きな」
 ティエラの声は優しかった。
 エルマーはそれを受け取った。
 服はスーツのようだった。
 



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