Nobody Knows





第一部


5

 上りが途切れ、下りの道が遥か遠くまで見渡せた時、その先に見慣れた影を見つけて、エルマーは安堵のため息を漏らした。あれはティエラだ。見間違えのない、少し丸まってしまった背中が見える。やはりつらいのか、動きは鈍い。ここからだとほとんど動いていないようにも見えた。
「ティエラ!」
 急いで下ろうとしたところ、後ろから思いっきり襟元を掴まれた。ただでさえ呼吸が乱れている中での仕打ちだ。のどが詰まって、エルマーはぐえと不様な声を上げた。
「な、何すんだ!」
「少し落ち着け」
「おれはめちゃくちゃ落ち着いてるって!」
「どこがだよ」
 いいから離せ、とエルマーは後ろの襟を押させている手を無理矢理はがした。解放されると襟回りがくたりと垂れた。あーあー、伸びちゃったじゃないか、とエルマーは剣士を睨んだ。
「見つかったから、もうあんたは帰ってくれよ。それで、あんたの仲間に伝えてくれ。おれはエルマーで、ティエラとここで暮らしてるんだからって。あんたたちの探している『サンジ』じゃないからって」
 言い捨てて、エルマーは坂を下った。動いていないように見えても、ティエラの影は小さくなりつつあった。
 坂の途中で、背後から同じような足音が聞こえてきた。ここまで付いてこられると、若干気持ち悪くなる。もしかしたら、ストーカーとか言うやつかも知れない。
 こうなったらとことん無視しようと心に決めて、エルマーはティエラだけを追った。姿が見えたことで、足も軽い。ティエラの背中はすぐ大きくなって、そう時間もかからず追いついた。下り坂だったせいもある。しかし、変な力が入ったおかげで、ふくらはぎが痛みを訴えていた。
「ティエラ!」
 あと十歩ほど、というところで声をかけたが、彼女は振り返らなかった。
 聞こえないのではなく、無視をしている。
「ティエラ!」
 追いついて、追い越してから向き直る。ティエラは足元を見つめたまま、ゆっくりと歩いていた。
「ティエラ、心配したよ。どうして何も言わずに出かけたりしたんだ」
「あんたの許可がないと、あたしはどこにも行けないってのかい?」
 ぎろ、とにらみあげられて、エルマーは眉を下げた。
「そういうことを言ってるんじゃないって。ただ、どこに行くのかとか知らせてくれないと。おれ、町のみんなに聞いて回っちゃったよ」
「ガキじゃないんだ。あたしは出かけたい時に出かけるのさ」
「ティエラ〜」
 エルマーは情けない声を上げるしかなかった。
「おい、ババア」
 黙ってついてきていた緑色のストーカーが、失礼な呼びかけをした。
「なんだい、小僧」
 ティエラは負けていなかった。
「あんたがどこ行こうが勝手だけどな、一言くらい言って行け。あんたを心配してたのはこのアホだけじゃねえ。町の連中だって、今頃探してんだ。そういう手間をかけさせんな」
「言ってくれるね、小僧が。いいのさ、あたしは老人なんだ。せいぜい心配させて迷惑かけてやんだよ」
「ひねくれババア」
「あんたはもうちょっと年長者への言葉遣いってもんを考えた方がいいね」
 ふん、とティエラは笑う。
「で、どこ行きてえんだよ、ババア」
「聞いてどうすんだい?」
「面倒くせえから、連れて行ってやる」
「は? 何でお前が?」
 エルマーはそこでやっと口をはさむことが出来た。
 しかも言っていることがおかしい。面倒くさいのに、連れて行ってくれるらしい。
「あんた、本物のストーカー? 変人? 変態なの?」
「誰がストーカーだ、変人だ! ぐだぐだ言ってるよりも、このババアの気のすむようにさせた方がはええだろ!」
「ババアって言うなよ! 女性は労れ!」
 ストーカーの口調に頭にきて言い放つと、緑の変態は少しだけ黙った。じっとエルマーの顔を見てから、ふん、と鼻で笑った。
「そういうところは全然変わらねえんだな」
 あ、なんか馬鹿にされてるっぽい。こういうことは肌で感じるものだ。どうしてもこのストーカーとは気が合わないようだ。胃の底がむかむかして、無性に蹴りたくなる。エルマーは実行に移して、緑の腹巻きにけりを入れた。入れてから気付いたが、こいつは腹巻きなんてダサいものをして、しかも緑色なのだ。色のセンスが可哀想すぎる。蹴ってから少しだけ憐れみの情がわいてしまった。
「いてえな! 何しやがる!」
「あ、ティエラ!」
 剣士と馬鹿な言い合いをしていたせいで、ティエラは先に進んでしまっていた。
「北のどこに行きたいのさ。おれも行くから」
「あんたはいいから帰ってな」
「あー、ほんと面倒くせえ」
 ストーカーおよび剣士の動きは早かった。エルマーが止める間もなく、ティエラを抱え上げ、背負ってしまった。
「こら、小僧!」
「うるせえ! 耳元でごちゃごちゃ騒ぐんじゃねえ! 落とすぞ!」
 緑頭が凄むと、迫力があった。エルマーの方が黙ってしまった。
「あんたが歩くより、おれが背負った方がはええ」
 さっさと歩きだす剣士の横についていく。ティエラは、さすがに疲れていたのだろうか、文句も言わず背負われたままになっている。
 ティエラは背負われたまま、エルマーを見下ろした。
「調子はいいのかい」
「ああ、問題ないよ。走れるくらい元気だって」
「そうかい」
「で、どこに行くのさ、ティエラ」
「うるさいね」
 話す気は全くないようで、ティエラは剣士の背中で寝入る態勢になった。
「おい、よだれは垂らすなよ、ばーさん」
 ばーさんって言うな、とエルマーは心中でたしなめた。口に出す気力はなくなっていた。なんだろう、ティエラがわからない。それなりにエルマーを心配してくれているようだったが、どこかよそよそしく感じる。
 それもこれも、こいつらが来たせいなのかもしれない。
 そう思うと憎らしくもなってくる。
 しばらく無言で歩き続けた。気詰まりで仕方がなかった。ティエラも少しくらい話してくれてもいいのに、と少しだけ恨めしくなってくる。
 太陽が中天にかかるころ、やっと北の町が見えてきて、サンジはほっと溜息をついた。




「おら、着いたぞばーさん。次はどっちに行けばいい」
「とりあえずまっすぐだよ。この道を突き当たるまで行ってくれ」
「それじゃあ町を出ちゃうよ、ティエラ」
「いいんだよ、ほら、さっさと歩きな」
「いてえな! 髪を引っ張るな、ババア!」
「失礼なガキめ」
「いてっつの!」
 両手がふさがっているので、剣士は髪を引っ張られるままに歩いていく。
 北の町は、島の高地にある。南と違って港などはなく、林と畑、それらを囲むように森があった。エルマーはこの町の外には出たことがなかった。
 町を抜けて畑へ、畑から林へ、道はだんだんと細くなっていったが、途切れることはなかった。獣道のような跡を進んでいくと、やがて森を抜けた。
「エルマー、あんたはここにいな」
「え、なんで」
「この先は崖なんだ。崖の向こうは海さ」
「……わかった、待ってる」
 ここで倒れて迷惑をかけるわけにはいかない。ティエラがこんな崖にどんな用があるのか、興味はあったけれども深入りして体調を崩すのだけは避けたかった。
 森の最後にある木の根もとに、エルマーは腰をおろした。
 ティエラを背負って、剣士は歩いていく。ずっと歩きっぱなしだというのに、その足取りに疲れは全く見えなかった。どんな体力だ、と痛む足をさすりながら、エルマーは思った。



 しばらく眠っていたらしい。
 頭に触れる手の温もりで、エルマーは目が覚めた。どうしてなのか、エルマーは目覚めてから目が開くまでに時間がかかる。覚醒した、と頭では認識するし、知覚もするけれど、まぶたが開かない。
 仮眠だというのに、今回もそうだった。手はエルマーの髪を撫でて、ほほを伝っていく。指先は固く、てのひらは大きかった。なんだよ、誰だよ、と思った瞬間、思いっきり捻られた。
「いってえ!!」
 痛みのショックで、目が開いた。見上げると、緑の剣士がエルマーを見下ろしていた。ついでに、頬はまだ捻られたままだ。
「あにふんだ」
 つままれているせいで、はっきり発音できない。手を振り払って、頬をさすった。
「いってー、お前、本気で捻っただろ。ひどいことするぜ……」
「人が重労働してるのに、呑気に寝てっからだ。アホ」
「そりゃあ悪かったよ」
 謝ったというのに、剣士は微妙な顔をした。困ったような、不機嫌なような、眉を寄せてエルマーを見下ろしている。
「ちっ、調子狂うぜ」
 がしがしと緑頭を掻きまわして、剣士は立ち上がった。
「あ、おい、ティエラは?」
「ゾロだ」
「は?」
「おれの名前はゾロだ」
「はあ、そうですか」
 なんだかやっぱり会話が噛み合わない。どう反応していいのやら、と思って見上げていると、剣士もエルマーを見ていた。まっすぐな視線は、何かを訴えているようで、エルマーは思わず目をそらした。逸らしてから、なんでおれがこんな居たたまれないような気分にならなきゃいけないんだろう、と理不尽な思いがこみ上げる。
「おれのことはゾロって呼べ」
 そう言い捨てると、剣士は歩きだした。  おいおい、どこに行くんだ。そして、ティエラはどこに行ったんだ。
「お、おい」
 呼びかけても剣士はずんずんと歩いていく。
「ゾロ!」
 告げられた名を呼ぶと、やっと振り返った。少し立ち止まってから、エルマーの方へ向き直る。
「なんだ」
「ティエラはどこに行ったんだよ?」
「町の方だ」
「……ちなみに、お前はどこに行こうとしていたんだ?」
 ゾロは眉を顰めた。
「ああ? 町に戻るに決まってんだろ。アホかてめえ」
「町は逆方向だ」
 さも当然と言うゾロに、エルマーはため息をついた。そういえば、昨日港へと連れ去られる時に、赤毛の少女が「よく迷えるわね」とか何とか言っていた気がする。
「あんた、もしかして極度の方向音痴か?」
「ふざけんな。誰がだ」
 お前だよ、と言い募るのも面倒になってきたので、エルマーはゾロを手招きした。
「とりあえず、こっちだ。ついてこいよ、ゾロ」
 痛む足を叱咤して、エルマーはゾロを促した。意外にも素直にこちらへ寄ってくる。
「……ティエラ、ここに何の用だったんだ?」
 並んで歩きながら問いかけると、ゾロはしばし無言になった。
「ゾロ?」
「てめえには関係のねえことだ」
「そんな言い方はねえだろ」
「いや、瑣末なことだ。気にすんな」
 そっけない物言いの中に、自分への気遣いが含まれていることをエルマーは敏感に感じ取った。
 



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