ストレートラインの向こう側





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 十二歳の冬だった。
 村に「映画」というものがやってくるのだと聞いてから、サンジはずっと楽しみにしていた。朝から晩まで、見たことの無いその「映画」というものを想像しては、そわそわしていた。ゼフは北の大きな街に行った時に、「映画」を見たことがあるらしかったが、何度聞いても「でっかい動く絵本だ」としか教えてくれなかった。おかげで、サンジは夢の中で、お気に入りの絵本に足が生えて動き出す夢ばかりみた。
 隣に住んでいるロビンにも聞いてみたが、彼女は優しく笑って、「当日までのお楽しみよ」とだけ言った。教えてくれても良いのにと思ったが、ロビンが言うことはいつも正しいので、サンジは口を噤んだ。
 友人のウソップやルフィと、「映画」についての想像を膨らませる毎日が続いた。ウソップはしきりに自説を披露していたけれども、「映写機の中に小人が入って動いてる」だの「巨大な影絵装置なのだ」だの、果ては「見たら呪われる」とかまで言い出した。夢中になっているうちに魂を抜かれるんだ! と涙目になっていた。相変わらず面白い奴だった。ルフィは逆に闘志を燃やしていた。
 そして、とうとう当日はやってきた。大きな車が何台も村に入ってきた。子供たちはそれを入り口から村の中央まで、歓声を上げて付いていった。それは子供っぽいと思ったので、サンジはことさらゆっくりと歩いた。でも本当は、走り回りたい気持ちだった。
 車の中から降り立った大人たちによって、仮設テントが張られた。村の男衆も手伝って、車の中から機材を入れていた。子供たちは、邪魔だとときに怒鳴られながらも、じっと見つめていた。
 日が暮れ始めてやっと、設営が終わった。
 今日だけは、日が落ちても子供が外に出ていいことになっていた。テントの入り口が捲られると、子供たちは一際高い歓声を上げて中に入っていった。大人たちもそれよりはゆっくりだったが、同じくらいに楽しみにしていたのがわかる。サンジはゼフに伴われて中に入った。
 テントの中は、小さな豆電球が数個あるだけだった。前方に、白い幕が張ってある。真っ白で、なにも描かれていない。大きな絵本があるのかと思っていたので、サンジは少しがっかりした。
 しかし、がっかりしたのは一瞬だけで、電球が落とされた後に現れた「映像」に、サンジは文字通り魅了された。
 中央に置かれた機械から、光が伸びていた。その先は白い幕にぶつかる。その幕に、動く風景が映っていた。サンジと同じ人間が、その幕の中で動いていた。
 動くだけじゃない。その「映像」は「お話」になっていた。サンジがよく読む絵本と同じように。
 映画の内容は、人間が死体から怪物を作り出すというものだった。怪物には、縫われた跡が顔中にあって、異様な形をしていた。雷によって生み出され、動き出し、やがて人間に襲い掛かる。人はみんな、彼を嫌悪した。作り出した人間ですら、怪物を拒絶し、激しく憎んだ。
 テントの中はしんと静まりかえっていた。サンジはいつの間にか、ゼフの服をぎゅっと握っていた。寒くもないのに、震えが止まらなかった。



 「映画」はそれから三日間、村に滞在した。
 最初は怖がり、泣き出す子までいたのに、子供たちはすっかり「怪物」が大好きになった。恐怖よりも好奇心の方が勝ったのだ。村の一大ブームになって、映画を見ていないときは、「怪物」ごっこをしていた。
 なんてことはない。一人が怪物になって追いかける。他の子供たちは逃げる。「怪物」に捕まったら、捕まった子供も「怪物」になる。そうして、最後の一人が「怪物」になるまで、追いかけっこは続く。
 サンジは、ウソップとルフィのごっこ遊びに加わる気にはなれなかった。なぜかはわからない。
 ただ、あの映画の怪物を、サンジはどうしても嫌いになれない。はやし立てるように、ごっこ遊びをする気になれなかった。
「一緒に遊ばないの?」
 木の下に座って、ごっこ遊びをしている彼らを見ていたら、ロビンに話しかけられた。振り仰ぐと、彼女は本を手にしていた。この木陰で読むのだろう。サンジは無言で頷いた。
「あら。あんなに楽しみにしていたのに、浮かない顔をしてるのね。想像と違ったのかしら」
「ううん。すごかった。面白かった」
 もちろん本音だった。
「そう。では、何が引っかかっているの?」
「おれにもよくわかんないんだ、ロビンちゃん」
 サンジは膝を抱えた。
「でも、映画の内容がずっと頭の中でぐるぐる回るんだ。消そうとしても、おんなじ場面ばっかり繰りかえすから、疲れちゃった」
 ロビンが隣に座るのがわかった。
「どの場面なの?」
 風に乗って、ロビンの声が柔らかく響く。
 サンジは少し躊躇った。足元で草が揺れるのを眺めてから、結局口を開いた。
「怪物が死ぬところ」
 白黒の映像が、脳裏にこびり付いている。
「人間に嫌われて、ひとりで死ぬところ」
「……そう」
 ロビンはサンジの左手を取った。掌の中に、飴玉を握らせてくれる。
 サンジはそれを見下ろしてから、ロビンを見た。
「さいごに、怪物は、『今は死だけが安らぎだ』って言うんだ」
 飴玉を握り締めて、サンジは呟いた。
「それは、悲しいわね」
「悲しい、のかな」
「そうではない?」
「……そうなのかな」
 ルフィとウソップの歓声が聞こえた。サンジはロビンからもらった飴玉の包み紙を開いた。舐めようかと思ったけれど、結局包みなおした。
「よくわかんないけど、あの言葉がずっと頭の中に響くんだ」



 村の近くには、一本のレールがある。隣の国から続いて、またどこかへと延びている。どこに行くのかはわからない。
 列車が通る時に近づいてはいけないと、大人には固く注意されている。そして、なにより、このレールを超えてはいけないとも言われている。
 サンジはその日、ふと列車を見たくなって村を出た。ゼフには散歩に出てくると言って。
 列車が通る時間はまちまちだったけれど、大抵がお昼過ぎだった。少し丘のように盛り上がったところに、線路が一直線に敷かれている。周囲には、枯れた草原以外何もない。しばらく待っても一向に列車はやってこなかったので、サンジはレールに近づいた。鈍く鉄が光っている。手繰り寄せられるように、サンジは手を伸ばした。冬の空気がぎゅっと閉じ込められているかのように、レールは冷たかった。
 耳をくっつけると、キーンと耳鳴りがした。目を閉じると、遠くで振動が聞こえた。鉄の中から伝わってくる。やがて、くっつけていない方の耳にも、列車が近づいてくる音が聞こえた。轢かれる前に、サンジは飛び跳ねてレールから下りた。
 ごおおお、と轟音を立てて列車が通り過ぎていく。轟音は耳だけじゃなく、なぜか目にも痛かったので、サンジはぎゅっと目を瞑った。
 通り過ぎて、音が遠くなったころ、サンジはやっと目を開けた。すると、レールの向こう側に見慣れないものがあった。列車が行く前にはなかったものだ。
 ここには、レールと草原と、サンジの背後に村があるだけなのに。
「……ひと?」
 うつぶせになって倒れている、人間だった。
「ひとだっ」
 サンジはレールを飛び越えた。あちら側には行ってはいけないという忠告を思い出したのは、倒れている男の髪の色を見た時だった。
 男は緑色の不思議な色の髪をしていた。しかも、血の匂いがする。サンジは思わず後ずさりした。映画を見た時のように、寒気がした。
 男はぴくりとも動かない。
 死んでいるのだろうか。
 どうしたらいいのかわからなくて、サンジはしばらく途方に暮れていた。ここから立ち去ることもできず、かといって助けを呼ぶこともできず、じっと緑の髪を見つめていた。
 どれくらい時間が経ったのか、男は小さく呻いた。サンジはびくりと体を振るわせた。それから慌てて、男の側に膝をついて覗き込んだ。
「おい、大丈夫か? 生きてんのか?」
 男の顔を覗き込むと、思った以上に若かった。村の大人たちよりずっと若い。眉がぎゅっと顰められている。呼吸も荒かった。
「……死ぬのか?」
「……だ、れが」
 サンジが呟くと、男はうっすらと目を開けた。しばらく瞬きを繰り返してから、眼球だけを動かして、サンジを見た。
「……ガキか」
 喋るとは思わなかったので、サンジは後ろに尻餅をついてしまった。
「ここに、誰も、寄り付かない場所は、あるか。休めるような、ところ、だ」
 男はサンジを見据えたまま、口を開いた。途切れ途切れでも、言葉はちゃんと聞こえた。
 道を聞かれたかのように、自然に問われたので、サンジは反射的に頷いていた。
「どこだ」
「あ、あっちの、林の手前の小屋」
 男の背後を指差すと、男は寝返りをうった。
「あれか」
 サンジは小屋ではなく、その男の腹部に目が釘付けになった。血の匂いがむっと濃く立ち上る。
 男の服は、胸から腹の辺りが血まみれで、半分ほど乾いて土色になっていた。中央部分だけがじわじわとまだ真っ赤な色をしていた。
 気持ちが悪くなるような匂いだった。サンジは生まれてから今まで、こんなに血の匂いをかいだことはなかった。転んで膝が擦り切れたときだって、血の匂いはほとんどしない。
 呆然と、その赤から目をそらすことが出来ずに眺めていると、男は呻きながら上体を起こした。
「だ、大丈夫なのかよ!?」
「うるせえ。いいからガキは帰れ」
 そんなことを言われても、帰れるわけがない。よろよろと立ち上がって、一歩一歩小屋へと歩いていく男の後ろを、サンジは付いていった。
 一度支えようとしたが、うるさげに振り払われてしまった。
 とても長い時間をかけて、男は小屋にたどり着いた。小屋は、レールとサンジの村の中間にある。今は使われていないが、昔は「見張り」のために使われていたのだと誰かが言っていた。何を「見張る」のかはサンジにはわからない。
 小屋の扉を開いてやると、男はそのまま倒れ込んだ。駆け寄って背中をゆすっても、目を開かなかった。ただ、血の匂いだけが生々しく鼻に付いた。
(死んじまう)
 ぞっと背中を駆け抜ける予感に、サンジは慄いた。震える手を握り締めて、小屋の内部を見渡す。小屋の中は何もなかった。夏に誰かが持ち込んだのか、隅に藁が積まれているだけだった。サンジは小屋を飛び出した。
(死ぬ、死ぬ、死ぬ)
 死、という単語だけが、脳内でぐるぐると回っている。
 無意識に、自分の家に帰ってきていた。ゼフはまだ厨房にいる時間なので、家の中は誰もいなかった。馴染んだ自分の家の空気に包まれても、サンジはがたがたと震えていた。
 自分の部屋に入って、予備の毛布を引っ張り出した。
 思いつくものを手当たり次第に抱えて、サンジは家を飛び出した。
(……死んじまう!)
 小屋に戻ると、男はサンジが飛び出した時と変わらなかった。ぴくりとも動かなかったので、サンジはもう死んでしまったのだと思った。
 そろそろと近づいて、顔を覗き込んだ。
「死んだ、のか?」
 こんな毛布とか食べ物とかではなくて、ちゃんとした医者を連れてくるべきだった。もっと最初から、レールの向こうで倒れていた時に、呼んで来るべきだったのだろう。
「……死んでたまるか」
 男の声が聞こえて、サンジは驚いた。
 男は目を開いていた。サンジは抱えていたものを、床に置いた。
「なんか、欲しいもんあるか!? あ、医者、医者を呼んでくるから!」
「呼ぶな!」
 男は短く叫んだ。
「医者はいらねェ。おれのことは放っておいてくれ」
 そんなことはできない。男は身動きが出来ないのだから、サンジは勝手に医者を呼んでくるべきかと迷った。しかし、男の目は冷たく、拒絶されているのが子供のサンジにもわかった。
「……水、飲むか?」
(こいつ、死ぬかもしれない)
 先ほどよりはずっと落ち着いて、サンジは水差しを男の口元に寄せた。
 水すら拒むかと思ったが、男は黙ってサンジが差し出す水を飲んだ。人に水を与えるなんて、初めてだったので、加減がわからず、水は男の口から溢れて床に染みを作った。
 水を飲むと、男はすっと寝入ってしまった。
 サンジはせめて温かくしようと、積んであった藁を持ってきて、男の体を覆った。藁は放置されていたせいで、少し埃っぽい。最後に、サンジの毛布を上からかける。
 水差しを近くに置いて、やけどをしたときに使う薬と包帯を、そしてゼフが作ったパンを置いて、サンジは小屋を出た。
 最後に振り返ると、藁に覆われて、緑の頭は見えなかった。
 医者を呼ぼうか、と一瞬だけ思った。けれど、それはすぐにため息と一緒に逃げていった。



 次の日、ゼフが仕事に出てから、サンジは小屋へと走った。
(死んでませんように)
 恐る恐る小屋の扉を開けると、鉄の匂いがした。血の匂いだ。
「生きて、るのか?」
「……勝手に殺すな」
 藁の塊が僅かに動いた。サンジは恐る恐る近寄った。藁の塊から、緑色が覗いた。サンジを見て、目を眇めている。昨日よりは血色がよくなったような気がする。サンジが持ち込んだ水とパンはすっかりなくなっていた。
「水、あるか」
 緑頭の声は、がらがらだった。声を出すのも辛そうで、サンジは駆け寄って水差しを渡した。昨日とは違って、自分の手で持って飲んだ。そんなに一気に飲んで大丈夫なのかと心配するほど、男は喉を鳴らして水を飲んだ。
 飲み終わると、男は袖で口元を拭った。
「昨日のガキか」
 水を持ってきたのはサンジだというのに、男はまるで敵を見るかのような目をしていた。どうしてそんな目で見られなくてはならないのだと、サンジは睨み返した。
「お前、なんで怪我してんだ。大丈夫なのか」
 それでも、一晩中心配していたので、サンジは問いかけた。男は藁を手繰り寄せて、再び横になった。
「おれのことはほっとけ」
 男は素っ気無かった。
「そういうわけにいくかよ。お前、何も食わないでいたら死ぬぞ。ほら、パンとシチュー持ってきたから、食えよ」
 持ってきたバスケットの蓋を開けると、中からシチューの香りがした。ゼフ特製のシチューなのだ。普通のシチューなんかより、ずっと美味しい。匂いからして違うのだ。無視できるわけがないと思っていると、案の定男は藁の中から顔を出してきた。
 サンジはにやりとした。
「ジジイのシチューはうまいぞ」
 顔の近くにバスケットから出した陶器を置くと、男は心底嫌そうな顔をした。
「……お前、おれが怖くねェのか」
「死にそうな奴を怖がってどうすんだ」
「そりゃそうだ」
 ふん、と男は僅かに笑った。
「まさかガキに助けられるとはな」
 口ぶりに卑屈な響きはなかった。むしろ面白がっているようだった。
 男は手を合わせて「いただきます」と言った。
「なんだ、それ」
 サンジには聞き覚えのない挨拶だった。
「おれの国では、食事の前には必ず言うんだ。食事の前には命を『いただきます』。終りには、『ごちそうさま』だ」
「へえ」
 サンジは顔を輝かせた。
「そりゃいいな! すげェいい」
 いつもゼフが言っている、野菜クズから家畜の骨まで無駄にするな。どんなもんでも、命をもらっているからだ、という言葉に重なった。
「『いただきます』かあ。いいな、おれも使おう。ジジイにも教えてやろうかな」
「やめろ」
 男は短く言った。口調がまた冷たくなっている。
「何でだよ」
 スプーンをシチューに沈めて、男は口を開いた。
「何ででもだ」
「意味わかんねェ」
「とにかく、おれのことは誰にも言うな。守れねェんなら、二度とここへ来るな」
「来るなって言ったって」
 怪我をしているというのに、食べ物も持っていないようなのに、どうやって生きていくつもりなのだろう。
 差し伸べた手を、払われるどころか、引っかかれてしまったような気分だった。
(知るか、こんなやつ)
 だんだんと腹が立ってきて、サンジは立ち上がった。男は気にせず、シチューを啜っている。ゼフの自慢のシチューを持ってきた自分にも腹が立った。こんな男に与えるのは勿体無かった。
「ふん!」
 足をばしばしと踏み鳴らして、サンジは小屋を出た。扉を閉めるときにも男の姿は見ないようにしていた。
 むかむかと胸がむかついて仕方なかった。
「あらサンジ。どうしたの? 怖い顔をして」
 家の近くにたどり着くと、ロビンに行き当たった。
「ルフィとウソップが、探していたわよ」
「……うん」
 そう言えば、今日は午前中に遊ぶ約束をしていたのだった。すっかり忘れていたし、遊ぶような気分でもなかったので、サンジは家の方に足を向けた。
「サンジ?」
 ロビンが訝しげにサンジの顔を覗き込んできた。
「ロビンちゃん」
 ロビンの名を呼んだものの、何を話していいのかわからず、結局サンジは口をつぐんだ。あの男は誰にも言うなと言っていたのだ。
「なにかあったの?」
「ううん、何でもない」
「そう」
 ロビンはそっとサンジの頭を撫でた。
「何かあったら、私か、お祖父さんに言うのよ。それと、一人で村の外に出ては駄目」
「どうして?」
 今までそんなことを言われたことがなかったので、サンジは普通に問い返していた。
「危険な人が、この村の近くにいるかもしれないんですって」
(あいつだ)
 サンジはぎゅっと掌を握り締めた。反射的に、あいつだ、と思った。
「危険って、なんで? なにかした人なの?」
「いいえ。どちらかというと、なにもしなかった人ね」
「しなかったのに危険なの?」
 ロビンは困ったように微笑んだ。
「しなさい、と言われたことをしなかったのよ。命令に従わなかったの」
「それは悪いことなの?」
「そう思っている人が多いのは確かね」
 ロビンは、子供のサンジにもこういう話をする。してくれる。だから、少なくとも、サンジはロビンのことを信じていた。他の大人は、よそ者のロビンのことを遠巻きにしているけれども、隠し事をする大人よりはずっといい。
「ロビンちゃんは、悪いとは思ってないんだ」
「あら」
 ロビンは少しだけ目を見開いた。それから囁くように笑った。
「サンジに見抜かれるようじゃだめね。でも、他の人に言ってはだめよ。私が怒られてしまうわ」
「ロビンちゃんが怒られるなんてだめだ!」
 慌てて首を振ると、よろしくね、と頭を撫でられた。
 美女に頭を撫でられて、サンジは幸せだった。



 いつも帰ってくる時間になっても、ゼフは戻らなかった。まだ明日の仕込みが残っているのかもしれない。びゅうびゅうと風が強く吹いてきて、家の窓ががたがたと大きく鳴った。
 窓からは木の影が見えて、まるで生き物のようにぐねぐねとうねっていた。サンジは外を見ないように気をつけながら、カーテンを引いた。
 自分の部屋に戻って、ベッドの中にもぐりこむ。毛布ですっぽりと全身を覆うと、少し安心できた。
 暗がりの中で目を開いて、サンジはあの緑頭の男のことを考えた。
 むっとして出てきてしまったけれど、こんな風が強い夜に、あんなおんぼろの小屋の中でひとりで、寂しがっているかもしれない。今、サンジが寂しいように。昼に持っていったシチューとパンだけでは、おなかが空いただろう。まだ、動けるような状態じゃないから、水も飲めずにいるに違いない。
 放っておけ、と言われたのだから、サンジが気にすることではない。それでも、まるでサンジが悪いことをしてしまったような気になっている。
 それに、ロビンの話も気にかかっている。
(あいつは、いったい何なんだろう)
 死ぬかもしれないという心配が先にたっていたせいで、サンジは男が何者なのかということをあまり真剣に考えていなかった。
(きっと、すごい悪人なんだ)
 ロビンは悪い人ではないと思っているようだけれど、本当は悪いことをした男なのだろう。何しろ、顔が怖いし、悪いことをしていなかったのなら、あんな怪我をしているはずがない。
(だから、おれが気にする必要はないんだ)
 自分に言い聞かせるように、サンジは何度も呟いた。



 しばらく眠ってしまっていたらしい。部屋の扉が閉まる音がして、サンジは目を覚ました。扉の向こうで、ゼフの声がした。帰ってきたようだ。時計を見ると、いつもよりも何時間も遅かった。目をこすりながら、サンジは部屋の扉に近づいた。ゼフに「おかえり」と言うつもりだったのだが、ぼそぼそと他の人の声も聞こえたので、サンジはドアノブを掴んだまま静止した。
「……隣国のことなんだ。関係ねェ」
「でも、もしもこの村に潜んでいたら」
「攻撃の対象になる」
「その前に突き出したほうが……」
「明日捜索隊を出すから、ゼフさんも……」
 サンジは瞬時に、あの緑頭のことだとわかった。ドアノブを握った手が震える。
 大人が話していることは、サンジには全く理解できなかった。それからぼんやりと聞いていたが、あの男が何をしたのかすら、わからなかった。
 ただ、サンジがわかったのは、彼は見ず知らずのこの村の大人たちから、疎まれているということだった。ゼフですら、否定をしない。
 あの小屋に潜んでいることは、すぐにばれてしまうだろう。あんな怪我をしているのだから、見つかったらその場で捕われてしまう。
 捕まってしまったら、あの男はどうなるんだろう。
 サンジは居ても経ってもいられなくなって、そっと部屋の窓に近寄った。外はまだ風が吹いている。窓ががたがたと悲鳴を上げている。怖いと思ったけれど、サンジは窓を開けた。風の音が一際高くなる。ゼフに気づかれる前にと、サンジは外に降り立った。予備で隠してあった靴を履いて、サンジは走った。
 夜に村の外に出るのは初めてだった。見る風景が、昼間とはまるきり違う。背筋がぞっと冷えたが、足は止まらなかった。
 闇に沈んでいる小屋にやっとたどり着くと、サンジはほっと息をついた。思わず、背後を振り返る。誰かが追いかけてきていないかどうか確認したかった。
 あるのは、枯れた草原だけだった。ここは、他に隠れるところがどこにもないのだ、とサンジは気づいた。
 小屋の扉を開けると、内部は外よりもずっと暗かった。こんなに暗いところに入るのは初めてで、サンジは入り口でしばらく立ち止まってしまった。
「……ガキか」
 ひっとサンジは息を飲んだ。男がいつの間にか戸口に立っていた。高い位置から冷たい目でサンジを見下ろしている。殺されるかもしれない、とサンジは思った。
「何しに来た。しかもこんな時間に」
 男は、手に持っていたナイフを仕舞った。きらりと刃先が光っていて、サンジは今度こそ体が震えた。足もがくがくして、その場に膝を付いてしまった。
「おい、どうした」
 男はサンジの腕を引っ張って立たせた。男の手は温かかった。ちゃんと、血の通っている人間だった。ロビンと、ゼフと同じ。ルフィやウソップとも同じ。そのことが、サンジを少しだけ落ち着かせた。
「大人が、」
 喉から出た声はかれていた。サンジはつばを飲み込んで、もう一度口を開いた。
「大人たちが、お前を探してるんだ。この小屋はきっと見つかる。今のうちに、どっかに逃げないと」
 そう言いながらも、どこへ逃げればいいのだろう、なにより、どうして自分はこんなにこの得体の知れない男を逃がそうと必死になっているのだろう、と思った。
「……ここ以外に、どこか隠れられるところはあるか?」
「わかんない。おれはあまり村の外には出ないから。でも、隣の村までは車で二日はかかる。隠れるところなんて、たぶんない」
 話しながら、サンジは思いついて顔を上げた。ずっと高い位置にある男の顔を、じっと見上げた。
「そうだ! おれの家に来いよ!」
「ばかな」
 男は目を見開いた。
「家の中じゃねェよ。納屋があるんだ。そこなら、普段はおれしか入らない。薪を取ってくるのはおれの仕事なんだ」
 喋っているうちに、とても良い案だと思えてきた。サンジは男の腕を掴んだ。
「な、そうしろ。夜のうちに行こう。歩けるか?」
 男はじっと無言のままサンジを見下ろしていた。そのままじっと黙っているので、サンジは焦れて男の腕を叩いた。
「死にたくないだろ!」
 腕を引いて、サンジは訴えていた。
「死にたくないなら、来い!」
 すっと、男は目を細めた。
「くそガキが。行く前に、この小屋の痕跡を消さなきゃならねェだろうが。ちょっと待ってろ」
 男がサンジが持ち込んだバスケットや水差しを持ち上げている間、サンジは藁を隅に片した。扉から入る月明かりだけが頼りなので、何度も往復することになった。最後に回収した毛布は藁まみれになっていて、血の匂いも染み付いていた。そう言えば、怪我はどうなんだろう、と片付けをしている男を伺った。
 ずっと眉を顰めているので、機嫌が悪いのか、傷が痛むのかどうかもわからなかった。あるいは、その両方なのかもしれない。
 すっかり小屋を元通りにしてから、男は表をうかがって、外に出た。サンジはその後をついていく。
 風は相変わらず強く吹いていた。おかげで、足音は聞こえない。村に入ってからは、サンジが先に駆けた。男は、その大分後ろからついて来る。わざと距離を取っているのだと、子供のサンジでもわかった。
 家の納屋についた時には、こんなに寒いというのに、額にびっしょりと汗をかいていた。男の息が荒いのは、傷が開いたせいだろう。
「入って」
 小声で言うと、男は無言で入ってきた。納屋の中にも、藁が積んである一角がある。そこに男はどさりと倒れ込んだ。
「お、おい」
 サンジが慌てて駆け寄ると、男は手挙げてひらひらと振った。
「問題ねェ。いいから、お前は早く家に戻れ。もうおれのことは気にするな」
「……明日、また食事持ってくるから」
「無理すんな」
「無理じゃねェよ」
 むっとして言うと、男はちらりと笑った。
「へんなガキだ」
「お前だって、へんな大人だ」
 その変な大人は、辛そうに眉を寄せている。これは確実に、傷が痛むのだろう。サンジはその額に手をのせた。
「天が傷みを吸い取ってくれますように。青い空の下で、明日は笑顔でありますように」
「……なんだそれは」
「おまじないだ」
「このおれが、おまじないをされるとはな」
 男は目を閉じた。話すのも辛いのかもしれない。サンジは黙って緑の頭をわしゃわしゃと撫でた。後ろ髪を引かれる思いだったが、サンジの不在がわかったら、この男も見つかってしまう。
 サンジはそっと納屋を出て、自分の部屋の窓を開けた。予備の靴は、泥まみれになっていた。ゼフに見つからないように、ベッドの下に隠した。
 体がすっかり冷たくなっていたので、サンジはベッドにもぐりこんだ。暖かい寝床に戻ったというのに、いつまでも寒気は取れなかった。足先は冷たく、いつまでも温まらない。ごしごしと両足をこすりつけているうちに、いつの間にか眠っていた。





2010/02/14
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