きのうとあした





 起きた時に、どうしてか違和感があった。しかし、その理由はさっぱりわからない。もしかしたら、夢でも見ていたのかもしれない。理由を思い出そうとするほど、頭の中に引っ込んでしまって、ボンクの中で、ぱたぱたとサンジは瞬きをした。
 サニー号になって船体が大きく安定したために、意識しなければ波の揺れを感じることがなくなった。それが、今朝は少しボンクがぐらぐらと揺れている。
 昨日と同じだ、とサンジはそう思った。
 違和感のことは忘れて、起き上がって軽く伸びをする。誰よりも早く起きるため、まだ他の連中は夢の中だ。
 さっさと着替えて、サンジは男部屋を出た。
 日の光を浴びて今度は思い切り背伸びをする。海が少し荒れている他には、異常な点は無かった。昨日と同じような、薄く霧がかかった状態だった。グランドラインでは珍しい、中途半端な天気である。まるで、スリラーバークにいたときのようだった。
 ダイニングの扉を開いて、サンジはキッチンへと向かった。さあて、朝食の準備だ、と腕を捲くったところで、キッチン周りの違和感に気づいた。
 違和感を覚えるのは、これで二度目だ。
 サンジは腰に手を当てて、キッチンを見回した。
「……仕込んでた材料が、ねェ……!」
 寝かしておいたパン生地がなくなっていた。慌てて冷蔵庫を開けると、昨夜仕込んだ白身魚を入れたタッパーも無くなっていた。
「ルフィめ!」
 やりやがったな、このクソゴムー! と男部屋に乗り込むと、船長は寝ぼけたまま、パンチを返してきた。
 男部屋はとりあえず、ひとしきり戦闘が巻き起こった。



「朝っぱらからなんなの!」
 乱闘で無理やり起こされたナミは、仁王立ちになって正座させられた男連中を見下ろしていた。
 騒ぎに加わらなかったゾロだけが、「何でおれまで!」とふて腐れている。ナミ曰く、「止めなかったなら同罪よ」とのことだった。
 一人だけ無関心な面しやがって、とサンジはゾロを睨んだ。すると、不機嫌そうに睨み返された。
「なんだこのマリモ頭! やろうってのか!」
「朝からうっせェんだよ! ぎゃーぎゃー喚くことしかできねェのかよてめェ!」
「んだとォ! 普段は役立たずのくせに!」
「やめなさいっての!」
 ばしんっとナミに殴られて、サンジとゾロは黙った。
 特にサンジは、一応騒ぎの原因となってしまったので、反省はした。女性陣を起こしてしまった、という一点についてのみであるが。
「で、騒ぎの原因はなんなのよ、サンジ君」
「だってナミさーん。クソゴムが朝食の仕込み食いやがったんだ」
「おれは食ってねェって!」
「やかましい! おめェの言葉なんて信じられるか!」
「あらら。信じられないと言われる船長、私初めて見ました」
「この船では割とよくあるぞ、ブルック」
 一番端っこで同じく正座していたブルックとチョッパーがひそひそ声で話した。当人達はこっそり話しているつもりらしいが、丸聞こえである。
「あらでも、おかしいわね」
 ひとり、キッチンを見回して、ロビンが言った。
「サンジ、あなた、今日の朝食のメニューの予定は何だったの?」
「メインは白身魚のマスタード焼きだよ。あっさり目だから、お好みでソースもつけられる。付け合せにサラダとタコのマリネ。スープは具沢山のコンソメ。ちなみにパンは、食パンとクロワッサンの二種類食べ放題。食後にヨーグルト、みかんソース掛け。……クソゴムにはメインにソーセージ付き」
 しっかり船長へのサービスを忘れずに言うと、ルフィが感に入ったように「サンジー!」と抱きついてきた。抱きつかれた背中から、ルフィの腹の音が聞こえてくる。その音を聞いて、サンジは怒りを忘れて切なくなってきた。
「ううっ、美味しそう……! おなか空いてきちゃった」
 ナミが言うのに、ロビンも頷いた。
「私もよ。早く事件を解決して、作ってもらいましょう」
「……暗に、くだらねェことで時間つぶすなって言いてェんだな」
 フランキーがため息を吐いた。
「あー、でも確かに、腹へったなァ……」
 ウソップの呟きで何となく全員が「あーあ」という気分になったところで、ゾロが立ち上がった。ナミもすでに怒りモードではなくなっているので、叱責はない。つられて、男連中は全員が立ち上がった。サンジもルフィを張り付かせたまま立ち上がる。
「ってか、今日のメニューは米なんじゃねェのか?」
 腕組みをしてじっとキッチンを眺めてから、ゾロが言った。
「はあっ? おれが予定していたメニューを忘れると思うのか!? バカにすんのもいい加減にしろ!」
「ちげェよ。最後まで聞け。なら、あれはなんだ?」
「あ?」
 指を差されたのは、キッチンの隅だった。普段米を炊くのに使っている鍋だった。サンジは歩み寄ると、その蓋を開けた。――しっかりと、米が洗って水に浸けられている。あとは点火すればオーケーという状態である。
「……なんで?」
 サンジは本気で頭が真っ白になった。今日の予定は、心の底から、さっき告げたばかりのメニューだったのだ。それを間違うはずはないし、ちゃんと夜にパン生地を練っていた思い出がある。
「え、でもおれ、昨日サンジがパン練ってたの見たぞ?」
 仕込みをしていた時に、チョッパーが飲み物を取りに来たのを、サンジは思いだした。
「途中で変えたんだろ」
 くだらねェ、と言わんばかりのゾロに、本気で腹が立ったが、サンジはぐっとこらえた。もう一度、冷蔵庫を開ける。白身魚を入れたタッパーはやはりない。そのほかに変化はないか、と見回して、サンジは目を見開いた。



「……つまり、仕込まれてたのは、昨日の朝食と同じ物だって言うの?」
 冷蔵庫の中身が、昨日の朝の状態とまるきり同じだという説明をすると、ナミは唸った。
「どういうこと?」
「サンジが同じメニューを二日続けるなんてことはありえないわ」
 ロビンが言ってくれた言葉に、サンジは感激した。ロビンちゃん優しい! とまたしても愛を深めた。マリモとはえらい違いである。
「それに、さっきもおかしいと思ってたのだけど、さすがに船長さんは、生の魚までは手を出さないでしょう?」
「確かにそうね。なら、どうして……」
 ナミが顎に手を当てて考えた時、「あのよ」とウソップがおずおずと手を上げた。
「なに? ウソップ」
「実は、今気づいたんだけど。昨日おれが描いて貼った絵がなくなってんだ」
 ウソップの言葉に、全員が壁を見た。夕食のときに飾ったので、記憶に新しい。
「ほんとだ!」
「うそ、どうして?」
 壁はまっさらな状態だった。
「何かを貼った跡もないわね」
 ナミは一瞬黙ったあと、全員に言った。
「みんな、ちょっと身の回りのものを調べてみて。昨日と違う点があったら報告しあいましょう。十分後に集合!」



 結論からすると、結果は散々だった。
 まずはナミが、ぐったりしながら「昨日書きためた海図が白紙になってた」と言った。ようやく時間ができたので、根詰めて清書していたのだという。
 ロビンは、読み進めていた本のしおりが、大分前に後退していたと言った。
 フランキーは、修理したはずの船体の傷を発見し、ウソップは逆に昨日壊してしまったルアーが元通りになっていると言った。
 チョッパーは、ゾロに巻いた包帯が元の位置にあると言い、ルフィはいつもの通り「よくわかんねェ」と言い放った。ブルックはよく覚えていないようだった。おじいちゃんだからかもしれない。
 とにかく、と全員はサンジが慌てて作ったおにぎりをほおばりながら会議を続けた。
「なんでか知らないけど、昨日に戻ってる。でも、体はなんともないわよね?」
「ただ昨日にタイムスリップしただけなのか、それとも、記憶だけを引き継いで体もリセットされているのか。それまではわからないわね」
「体も昨日のまんまだぞ」
 ゾロが口を挟んだ。
 巻いてある包帯を忌々しそうに摘んだ。
「傷の状態も昨日のままだからな。夜には傷口が少しは乾いていたはずだ」
 前の戦闘で傷つけた腕を少し上げて、ゾロは言った。
 沈黙が落ちた。ずずっと、ブルックが茶を啜って「おいしいですねェ」と言った。
「考えていても仕方ありません。とりあえず、死ぬようなことではなさそうですから、一日過ごしてみたらどうです?」
 一度死んだ人間の言葉には、奇妙な説得力がある。あまり考えることをしたくないので、男連中は即座に頷いた。ナミはため息を吐き、ロビンは小声で、「ちょっと面白いことになったわね」と呟いた。



 翌朝目が覚めて、まったく事態が好転していないことをサンジは肌で感じ取った。ボンクの揺れも、外に出たときの天気も、すべて昨日と一緒だ。キッチンの隅には見慣れた鍋が鎮座している。冷蔵庫を開ける気力も失われかけていたが、サンジは頑張って開けてみた。そしてすぐに閉めた。
「あー、昨日へようこそ」
「何言ってんだ、てめェ」
 冷蔵庫の前で蹲っていると、ゾロが呆れたようにサンジを見下ろしていた。
「うっせェ。てめェにおれの気持ちがわかるか!」
 今日こそは、と昨夜も気合を入れて仕込みをしていたのだ。
「別に、材料が減るわけじゃねェんだし。じたばたしても仕方がねェ。おれは毎日米でいいぜ?」
「お前はそうだろうよ。でも、みんなはそうでもないの! くっそ、とりあえず朝は米か。間に合わねェもんな。炊き込みにするかな」
 ぶつぶつと一人ごとを言っていると、襟足をつかまれた。
「いてェな! 何すんだよ」
「お、確かに昨日に戻ってら」
「ああ?」
 なんで分かるのだと思いながら振り返ると、ゾロはにやりと笑った。
「昨日おれが付けた跡が綺麗さっぱり消えてんぞ」
「あああああほかっ! そんなことで確認すんな!」
「なんでだよ。一番てっとり早いじゃねェか」
「そういう問題じゃねェ! ってかな、首周りに跡付けんなって何回言ったらわかるんだてめェは!」
「どうせ毎日暑苦しいもん着てんだからいいじゃねェか」
「誰のせいだ誰の!」
 サンジだって、たまにはラフな格好だってする。できるのだ。なのに、シャツで隠せるぎりぎりの位置につけるので、安全のためにスーツ着用が増えた。忌々しさと、腹立たしさと、今日のメニューをどうしようという悩みもあいまって、サンジはゾロの腹部を蹴った。
「このやろっ」
 結局朝から喧嘩となって、サンジとゾロは、起きてきたナミによって、再び正座させられた。今回は二人だけ、というのが以前と唯一違う点だった。



「さて、解決方法を発表します」
 どーんと仁王立ちになって、ナミは言い放った。
「さっぱり、わかりません!」
「ナミ、男らしいなあ」
 チョッパーが感嘆したように言う。完全に褒め言葉を誤っていて、ナミに殴られた。小さな船医は涙を溜めてブルックに慰められていた。子どもが最後に逃げ込むところは、おじいちゃんのところなのである。
「とにかく、ロビンとも話したんだけど。この霧が怪しいわ。けど、解決方法もわからないし。特に害もないから、ほっとくことにしましょ。ていうか、お手上げ。グランドラインだし」
 最後の一言に、全員が頷いた。
 まあ仕方ないか、グランドラインだし。
 強引な納得方法だが、経験上、すでにこれで納得しなければならない。というか、納得しなければやっていけない、というのが実状である。一日を繰り返すなんて大ごとではあるが、空へ船ごと飛んだり、影を盗まれて消滅しかかったりした身としては、「ぜんぜんマシ」と思える。
 ということで、全員一致で「なりゆきに任せる」ことに決定した。



 クルーは全員が心底楽しんでいた。
 明日には全てが元通りになると知って、まずルフィが暴食の限りを尽くした。ウソップは弾数を気にすることなく、射撃の練習をし、チョッパーは新薬の開発をすると部屋に篭った。ロビンは知識がリセットされないので、いつもどおり読書をし、ブルックは何事もなかったかのように音楽を奏でる。ナミはこれでもかと言わんばかりに、睡眠を取りまくっていた。
「で、お前は何してんだ、後ろで。ひっつくな。熱い」
「もういいだろ、片付けなんかしなくったって、明日には元通りなんだ」
 夕食後の皿洗いをしていると、ゾロがひっついてきた。でかい図体で張り付かれると、本当に鬱陶しい。
「そういう問題じゃねェんだよ。綺麗に片付けないと、おれが気持ち悪いんだ」
「時間がもったいねェ」
「今聞いても説得力ねェなあ」
 ゾロは離す気がないらしく、泡だらけの手を無理やり水で流されて、ずるずると引きずられた。
「チョッパーは」
 ダイニングから続く船医室には、まだチョッパーがいるのでは、とサンジは拘束から逃れようとした。
「寝た」
 短い返答が返ってきて、サンジは諦めたようにため息をついた。
「三夜連続だぞ」
「どんなに酷くしても、明日には体調戻ってんだから、いいだろ。好都合だな」
 愛がねェ! こいつ愛がねェよ! とサンジは脳内で悲鳴を上げた。ほんとに、そういう問題なのか、と悪態をつく前に、床に倒された。
「いて」
 ごちん、と頭を打ち付けて、涙が滲んだ。その目元をべろりと舐められた。この痛みも明日にはなくなってしまうのだろう。
 ゾロはシャツを無理やり引っ張ったので、ボタンがぶちぶちと飛んでいった。
 いくらもとに戻るとは言え、乱暴にもほどがあるだろう、とサンジは呆れた。
「でも、跡が消えるってのは、つまんねェな」
 首元から胸へと擦り下ろしながら、ゾロは不満そうに呟いた。勝手な、と声を上げる前に、口を塞がれた。あーあ、と思いながらも、サンジはお返しに思いっきり背中に爪を立ててやった。ゾロも張り合って、項に歯を当ててきた。結局、お返しのお返し、という果てしないやり取りをする羽目になってしまった。サンジも大いに乗ったし、楽しんだ。明日のことを心配しないで、思いっきりできるというのは、なにしろ結構便利だったのだ。



 楽しんでいた分、しっかりとツケは自分に返ってくるらしい。
翌日は、痛みで目が覚めた。その痛みで、魔の一日ループは無事に抜け出せたらしいと気づいた。問題は、調子に乗った末のこの状態で、サンジは起き上がれるかどうか、真剣に思案しなければならなかった。本気で、暴走しすぎた。喉は枯れているし、手足もところどころ打ち付けたようでずきずきと傷む。
 目の前には、呑気に寝入っている緑頭がいる。とりあえず、殴るか、とサンジは手を上げたが、結局下ろした。サンジに回されている腕が見えた。ゾロの右腕の傷は、やっと乾いたようだった。
「よしよし」
 やっぱこうでなくてはならない。昨日のゾロに会い続けるなんて、とんでもない。
 今日のゾロが目を覚ますまでは、とりあえず殴るのはやめてやろう。そう決めて、サンジは目を閉じた。じっと、ゾロの心音を聞いていた。
 しかし、ゾロが回復しているのに、自分がこんな状態なのは不公平だ、とやっぱり怒りがこみ上げてきたので、サンジはゾロの頭を叩いた。
「いて」
 と、今日のゾロは声を上げた。









6/27の「再会」プチオンリーのペーパー小話です。
ネタが全然浮かばなくって、早朝から昼にかけて「うーん、うーん」と唸ってました。


2010/6/29

Text / Index


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