インザダーク





「はい、これでよし。いい? サンジ。絶対に目を開けたら駄目だかんな! 点眼した薬が流れるし、何より外気に触れると眼球が痛むから。本当に本当に、ほんとーに、駄目なんだぞ!」
 もう一度、「絶対だぞ!」と言われて、サンジは苦笑した。
「わかったわかったドクター」
「そんなに軽く返されると余計に信じられないよ……」
 なぜか船医が落ち込んでいるようなので、サンジは手を伸ばした。声が聞こえてくる辺りに手を伸ばすと、柔らかいものに触れた。指先を少しスライドさせると、チョッパーが被っているフェルトの帽子だと分かった。
「悪ィ悪ィ。ちゃんと言うこと守るからさ。おれだって目が見えなくなるのは勘弁してもらいてェからな」
「……ほんとだぞ?」
「勿論。誓います、船医殿」
 胸に手を当てて、にやりと笑うと、チョッパーはやっと安心したのか、ほっと息を漏らした。
「まったく、ゾロとサンジだけだよ。治療後の方が心配になるのは。大体、治療する前にも喧嘩は始めるし。お願いだから、もっと怪我人としての自覚を持ってくれよな。自覚って大事なんだぞ、サンジ。自覚してなきゃ、治るものも治らないよ」
「……わかったわかった、自覚な」
「ほんとにわかってる?」
「はいはい、おれは怪我人です」
「『はい』は一回!」
「……ははは」
 サンジにはもう笑うしかなかった。
 ここぞとばかりに、チョッパーの小言は続いた。自業自得なので、サンジは神妙に拝聴するしかない。




 チョッパーの小言から数時間前のことだった。
 なんてことない海賊団との戦いがあって、なんてことのない戦力を余裕でぶったおして、これまたなんてことのないお宝を奪って、それで終りのはずだったのだが、サンジはちょっとしくじってしまった。
 敵船から引き上げる間際に、背後から銃の戟鉄を起こす音がした。すでにサンジ以外はサニー号に戻っていたので、銃弾の流れる先を気にする必要もなく、サンジはさっと避けた。これまたなんてことないことだった。しかし、なんてことなかったのはそこまでで、意外なことに、銃弾の中身は毒薬だったらしい。
しかも揮発性のある、空気中に溶けやすい物質だったらしく、サンジの背後で砕けた瞬間に、目に痛みが走った。
(ヤバイ)
 咄嗟に目を瞑ったが、目は針を直刺ししたかのように痛んだ。吸い込んではまずい、と息を止めて、サンジはとりあえず船べりから海へ飛び込んだ。あれだけ軽いのだから、海に落ちれば問題ないだろう。
「サンジっ!?」
 いきなり海に落ちたサンジに驚いたのか、ウソップの声がした。
 海の中で目を開くと、余計に痛みが走ったので、すぐさま閉じる。闇の中で方向感覚が失われたけれど、サンジは浮力に任せた。海面に顔が出ると、深く呼吸をする。
「どうしたの、サンジくん!」
「どうせ飛び移り損なったんだろ。アホ」
「うっせェクソ剣士! んナミさーん! おれは大丈夫だよー!」
 目は閉じたまま、ぶんぶんと手を振ると、ナミのため息が聞こえた。すげェなあ、目が見えないと聴覚が敏感になるってのはほんとだ、麗しい声がもっと麗しく聞こえる、とサンジは前向きに考えた。
「サンジ、あなた、目をどうかしたの?」
 こちらの声も麗しい。サンジは立ち泳ぎをしながら、声のする方へ手を上げた。
「大丈夫だよホー、ロビンちゅわーん!」
「そう? ならどうして目を閉じているの?」
 本当に、なんて聡いレディなんだろう! とサンジは感嘆した。
「え、目? サンジっ! 怪我したのか!?」
 これは船医の声だ。可愛くても男の声は目を閉じても一緒だなあ、とサンジは思った。
「サンジくん、上ってこられる? いま下ろした縄梯子も見えてなかったの!?」
 ああ、やっぱ女性の声は綺麗に響く。サンジは非常に前向きだった。
 何しろ、前向きでないとやってられないくらいに、目の痛みは酷くなっていた。
 痛みを通り越して、熱くなってきている。目を通して頭まで痛くなってきた。
「馬鹿が」
 ざん、と隣で水しぶきが上がって、サンジは反射的に身を竦めた。
 首をホールドされるように抱えられて、サンジは海面を移動された。がっしりした腕が首を圧迫する。言われなくてもゾロだとわかって、サンジはうんざりした。
「てめェに誘導されるほど、堕ちちゃいねェんだけど」
「あほか、いいからさっさとチョッパーに見てもらえ」
 怪我をしているせいか、ゾロはサンジの喧嘩腰の口調にも取り合わない。ただ呆れたような声をしている。面倒くさそうな声だった。
「へいへい。お手間を取らせてすみませんねェ」
「全くだ」
「……嫌味なのがわかんねェのかてめェは!」
「いてっ、噛むか普通!」
 首に巻きついていた腕に噛み付くと、さすがに拘束が緩んだ。目は痛いし、ゾロなんかに助けられるのはやっぱり癪だったので、サンジは水中でゾロに蹴りを入れた。しっかり腹部に入ったようで、ゾロは「ぐえ」と無様な音をだした。
「ざまあみろ!」
「てめえっ!」
 それからひとしきり海の中で殴り合いをしていた。ナミの怒鳴り声が聞こえて、ルフィのゴムの手に回収されてからも、甲板で乱闘を繰り広げた。
 目が見えなくても空気の流れでなんとなく喧嘩ができる。おれってやっぱすげェな、とゾロの一撃をかわしたところで、今度はチョッパーに背後から殴られた。完全に不意打ちだった。
「治療が先だってば!」
 チョッパーの拳は避けることが出来なかったので、サンジは昏倒した。昏倒したまま、医務室に連行された。




 サンジがくらった毒は幸いにも治療が早かったせいで、失明などには至らないらしい。
 それを聞いて、サンジは内心で酷く安堵していた。目が見えなくなるというのはさすがに致命傷である。
 両目を包帯でぐるぐると巻いているので、瞼の隙間から光も入らない。本当に真っ暗闇の中で、サンジはしばらくの間過ごすことになった。
 ここまで厳重なのは、目が外気に触れると酷く痛むためだった。空気中の塵や潮風が入ることもよくないとのことなので、サンジは一週間ほど暗闇での生活を余儀なくされた。
 さすがに料理も出来ないので、食事はクルーが変わる変わる作ってくれることになった。サンジは指示係で、切り方や調味料の配合などを教える。簡単なことは出来るので、すりこぎで胡麻を擂ったり、炒め物を炒めたり、皿を洗ったりしていた。
 誰かと一緒に、しかもこのクルーと料理をするというのが新鮮で、サンジは暗い生活もそこそこ楽しんでいた。たやすく想像できる諸々の事情から、手伝いの人選は限られていて、ほとんどがウソップとフランキーとチョッパーだった。クルーの人数からしてみると、割合は本当に低い。
「しっかし、見えなくても器用なもんだなおめェ。何がどこにあるのか、見えてるようじゃねェかよ」
 今日の当番であるフランキーは、半ば感心したような、呆れたような声を出した。
「ああ? 一流と言え、一流と。一流のコックにとってはな、キッチンは自分の体とおんなじなんだよ。どこに何があるのか、目を瞑っても分かるほどに馴染ませなきゃ本物じゃねェのさ」
「そういうモンかねェ」
「そんなもんだ。てめェだって目ェ瞑ってもトンカチで釘打てんだろ。簡単な修理ならできちまうんじゃねェのか?」
「やってみたこたァねェが、そうかもなァ」
「今度おれとおんなじのくらってみれば」
「くらってたまるか!」
 雑談をしながらでも、料理は進む。ジャンルは違えど、フランキーも手先が器用な職人であるので、飲み込みは早い。
 彼らのおかげで、サンジは必要以上に自己嫌悪に陥ることはなかった。
 コックが料理を作れないというのは、本当は一流失格である。もう三流以下もいいところだ。
「オウ、コックのあんちゃんよ。タマネギが透き通ってきたぜ。あとはどうすんだ?」
「すかさず塩コショウだ。固まらないように振りまいて、軽く混ぜて出来上がりだ」
「よしきた!」
 ジュワ、と炒める音がする。パチパチと火の爆ぜる音がする。
 それらをもどかしい思いで、暗闇の中で、サンジは聞いている。




 キッチンは自分の体同然なので、サンジは迷わず歩くことが出来る。
 困るのは、それ以外だった。さすがにサニー号に変わってから日が浅いので、まだ目を瞑って歩けるほど馴染んではいない。
(ダイニングの扉を開けて、手摺りまでは三歩。そこから左の階段までは、九歩と靴一個分。階段は十八段……)
 自然と、歩く早さは遅くなる。恐る恐る足を踏み出すのは柄じゃないし、何となく悔しいので、サンジはゆっくりとだが、悠然と足を進ませる。
 いち、に、さん、と階段を数えながら下りて、真っ直ぐ進む。
 芝生は足裏に優しいので、歩く不安も少しは和らぐ。
(大股で十歩歩くと突き当たり。右に三歩で男部屋のドア)
 気が大きくなってすたすたと歩いていると、「おいサンジ、ぶつかるぞ!」と声がした。
「おっと」
 慌てて左手を立てると、三十センチくらいのところに壁が迫っていた。気が大きくなって、いつもより歩幅が大きくなってしまったようだ。
「サンキュー、ウソップ」
「見えてねェくせに自信満々で歩くなよなー。激突する気かと思ってびっくりすんだろ」
「ぶつかったって別に死にはしねェだろ」
「おめェの場合、ぶつかって扉壊しそうなんだよ。ちゃんと案内してやるからさ、ほら、手出せよ」
「おお」
 右手を出すと、ウソップは軽く引いてくれた。
「あーあ、男なんかと手ェ繋ぐ羽目になるとはなあ……。あああ、手が腐る」
「引いてもらって言うことがそれかよオイ!」
「ナミさんとロビンちゃんに両手で引いてもらえたらなァ……。ああでもそんな二人が見えないのは惜しい。いやいや、あの麗しい手の感触だけってのも捨てがたい……」
「サーンジくーん? 発言が変態くさいですよォー?」
「うっせえ鼻、おれの妄想の邪魔すんな」
「あ、妄想って自覚はあんのね」
 はいはい、着いたぜ、と言いながら、ウソップはサンジの右手を離した。
「おう、サンキューな、ウソップ」
 男部屋は障害物が多いので、サンジはゆっくりと歩いた。
(右に六歩くらいでボンク、前に二歩でソファー。段差があるから近寄らねェ。右斜めに行くとロッカー)
 ロッカーに用があるので、サンジは斜め方向に歩いていった。途中で誰かの服を踏んだが気にしないことにする。また誰かが脱ぎ散らかしているのだろう。目が完治したら大掃除だ。
「んじゃ、おれは戻るからな。なんかあったら呼べよ!」
「おう」
 ウソップにひらりと手を上げて応えると、背後でドアが閉まる音がした。
(親切な奴だよ、あいつは)
 どこぞのマリモとは大違い、とサンジは忌々しく思った。
 忌々しいことを蒸し返すように思い出すのは余計に忌々しいので、サンジはロッカーを探ることに決めた。いつも身につけている懐中時計が見当たらなかったのだ。どこで落としたのかも分からない。チョッパーの治療を受けたときにはまだあった。その夜に着替えたときにでも、どこかに置き忘れてしまったようだった。
(こんな目じゃ、探しものもできやしねェ)
 決められた一週間まであと三日。それでも、懐中時計がないと気分が落ち着かない。誰かに探してくれと言うのは簡単だったが、それは言いたくなかった。仲間を信頼していないのかとか、そういう問題ではなく、ただ単に、気持ちの問題だ。あからさまに『大事な物』だと知られるのが嫌なのだろう。
 ごそごそとロッカーを探っても、馴染んだ感触は触れなかった。キッチンも散々探したがなかった。
(やっぱないか)
 ふう、とため息をついて、サンジは立ち上がった。ずっとしゃがみ込んでいたので、伸ばすと膝裏が痛んだ。
 キッチンもない、男部屋にもない。風呂にははじめから持っていかないし、そもそも目が見えなくなってから行く範囲は狭まった。目が見えればきっとすぐに見つかるのだろうと思っても、仕事が半減してしまったせいで、何しろサンジは暇だった。暇だから、よけいに時計の行方が気になる。
(もっかいキッチンに戻ろう)
 一番落ち着く場所にいるのがいい。サンジは歩数をカウントしながら、男部屋のドアを開けた。
「……お?」
 顔に水滴が当たって、サンジは掌を上に向けた。
「雨か」
 甲板が芝生になっているために、雨音に気づかなかった。耳を澄ませば、しとしとと落ちる音が確かにする。まだ小雨のようだった。
 普段は雨音なんて気にしないのに、目が見えないとやたらと響いてくる気がした。
「うお、すべる」
 濡れた芝生はサンジの足裏を拒んでいるようだった。いつもよりも慎重になりすぎたせいで、歩数のカウントが乱れてしまった。
 あと五歩で階段に行き着くはずが、まだ爪先に当たらない。
「あれ?」
 少し歩いてから足先で探っても、障害物にすら行き着かない。
「まいったなこりゃ」
 階段はどこだ。
 うろうろと歩き回るのは危険かもしれない。縁があるので、いきなり海に落ちることはないが、方向感覚が狂ってしまうのは困る。
「船内で迷子なんて、しゃれになんねェ……」
 サンジは絶望したように呟いた。
「どこぞのマリモを馬鹿にできねェじゃねェか」
 いっそ包帯をむしりとってしまおうかと思ったところで、いきなり右の手を引かれた。
「うわっ!」
 不意打ちを食らって、サンジの体は反射的にびくりとはねた。それが恥ずかしくて、サンジは声を上げた。
「てめェ、いきなり近寄んじゃねェよ! 気配殺しておれに近づくな!」
「うろうろ無様に歩いていたのを助けてやったんだ、感謝しろ」
 誰だなんて聞かなくてもわかった。ゾロだ。掌の硬さで気づいてしまって、サンジは唇を噛み締めた。一番いやな奴に見つかってしまった。突然振り出した雨を、思いっきり恨みたい。
 無様にうろうろとさ迷っていたサンジを見ていたのかと思うと、腹立たしくて仕方がなかった。
(第一、今まで全然近寄りもしなかったくせに、だ)
 苛々の原因までぶり返して、サンジの機嫌は地の底まで急落した。甲板も通りぬけて、すでに海の底である。
「どこに行こうとしてたんだ?」
「ああ? 階段までつれてってくれりゃあいいよ。後は自力でなんとかなる」
 やけくそになって呟くと、ゾロは舌打ちした。
 どうしててめェはそうなんだ、とゾロは言った。
「目が見えねェんだ。誰か呼べばいいだろ。呼ばずにうろちょろしやがって」
「別に大した問題じゃねェ。わざわざ誰かを呼ぶほどじゃなかっただけだ」
 ゾロは鼻で笑った。
「五分以上経っても階段に行き着けなかったくせにか」
「……最初っから見てたのか、てめェ。悪趣味だな」
「見えただけだ」
「屁理屈っつーんだよ、そういうの」
 腹の底がかっと熱くなった。怒りなのか羞恥なのか、それとも両方なのか。サンジにもわからない。
 言い返す罵倒の言葉を考えているうちに、爪先が階段の側面に当たった。
「もういいぜ。ありがとよ」
 ゾロの手を振り払って、サンジは手摺りに手を伸ばした。しっかりとした木の感触にほっとする。手摺りは雨に濡れていたが、気にならなかった。一段一段、階段を上っていく。ここまで来るのにかなり手間取ったせいで、服はすっかり雨を吸収していた。
 ゾロは何も言わなかった。忌々しいことに、また気配を消している。雨音のせいで、どこにいるのかわからなくなっていた。
 目が見えないというのは、本当に厄介だ。
 あと三日の辛抱だ、と思った時に、ずるっと足裏が滑った。
 平衡感覚というのは、視覚が大きな役割を果たしている。それが失われてしまっているせいで、サンジは体勢を立て直すことができなかった。
「あぶねェな」
 後ろに倒れ込む寸前で、ゾロが受け止めてくれたらしい。しっかりと確かな腕で支えられている。頭上からゾロの声が聞こえた。
 ……本当に、目が見えないというのは厄介だ。こんな守られてでもいるような気持ちの悪い事態になってしまうなんて、とんでもない。
 サンジは、目を覆っている包帯を毟り取ってしまいたい衝動を、必死で押さえ込んだ。毟り取って、海に投げ捨ててしまいたい。
「悪ィ」
 毟り取る代わりに、拒むようにゾロの腕を避けて、サンジは手摺りに手を伸ばす。その手首を、掴まれた。
「どうしててめェはそうなんだ」
 呆れたような口調で、ゾロは言う。ため息までついている。ため息をつきたいのはこっちの方だ、と思いながら、サンジは俯いた。
「何がだ?」
「非常事態の時くらい、おれに頼ってみろ。意地張って、ガキかてめェは」
「そうだよ、おれはガキなんだ」
 しとしとと雨の音と、ゾロの声だけが暗闇の中でぐわぐわと反響している。なんだか非現実的だった。夢の中のような。
「大体、今の今まで声も掛けなかったマリモくんを頼るわけねェだろ」
 言ってから、まるで拗ねた物言いをしているということに気づいて、サンジはますます顔を俯けた。
(おれはガキか)
 欲しい物を欲しいといえない、おれはガキなのだ。紛れもなく、子供なのだろう。
 その自覚だけはあった。
 しかし、自覚はあっても、それを改める気がないのも事実だった。
「そんなに頼るのが嫌なら、一つ貸しにでもしてやる」
 手首を握ったまま、ゾロはサンジの掌を上向きにした。握りこんでいた拳を無理やり開かされると、その中に硬質な丸みを帯びた物が落とされた。それはしっくりと掌に馴染んだ。
(懐中時計)
 探していたものが掌の中にあった。
「お前のだろ、これ。大事なものならちゃんと身につけとけ」
 そう言うと、ゾロはあっさりと手を離した。とんとんと、階段を上がっていく音がする。
(大事な物だと、おれはゾロに言ったことがあったか?)
 バラティエを出るときに、ゼフに貰った懐中時計だった。身一つで乗り込んだサンジにとって、使い込んだ包丁とこの懐中時計だけが、物として唯一サンジが執着するものだった。ルフィが麦わら帽子にこだわる理由と、根本では同じだ。ゾロが、白い刀にこだわる理由とも、ナミがみかんの木にこだわる理由とも。それを言ったら、きりがないのは分かっている。ウソップにとってのメリー号、チョッパーのピンクの帽子に、ロビンが唯一読まずに大事にしまっている本、フランキーの年季の入った製図用のペン。ブルックの頭に入っている、かつての仲間の歌が入ったトーンダイアル。
 大事なのだと、声を大にしていなくても自ずから伝わってくるものがある。そういう部類として、この時計もゾロに認知されていたのだろうか。もしかすると、ゾロ以外にも。
 そう思うと、じわじわと頬が熱くなってきた。
 目が見えていても、見えなかったのは、もしかしたら自分なのかもしれない。色々な意味で、自分は他のクルーを侮っていたのかもしれない。無意識に。何しろ、一番鈍いゾロですら、気づいていたのだから。
「ゾロ」
 脳内の思考がまとまらないうちに、呼んでしまったのはゾロの名前だった。それはとても小さな声だったのに、ゾロの足音はぴたりと止まった。
「……ありがとうな」
 とりあえず、感謝の言葉を口にした。普段では考えられないことだった。目が見えないから仕方がない、とサンジは自分に言い訳をする。
 足音が聞こえた。遠ざかっていくのではなく、近づいてくる。サンジの一段上まで来たところで、大きくため息が頭上から聞こえた。
 なんなんだ、てめェは、とゾロは言った。
「素直で気持ち悪ィ」
「失敬な。おれほど素直な男はいねェぜ」
「てめェが素直なのは、女への欲望だけだろ。ふざけんな」
「欲望じゃねェよ。レディに失礼だろ」
「……てめェは正真正銘の馬鹿だ」
 ゾロは、それは深く深く、ため息をついた。
「で、なんかおれに言うことはあるのか?」
 それから、幾分笑い混じりでゾロはそう言った。うぬぼれんなよクソ野郎。内心で思いながらも、サンジは口角を上げて笑った。掌の中の懐中時計は、サンジの体温で温くなっている。それを握り締めながら、サンジはもう片方の手を伸ばした。ゾロに向けて。
「おれをキッチンに連れてけ」
「命令形かよ」
 ゾロは小さく笑った。
「仕方ねェな」
 サンジが伸ばした手を、ゾロは掴んだ。雨に濡れていたが、ゾロの指は温かい。そして、硬い。剣を持つ手だ。
 ゆっくりと引かれて、サンジはまた一段階段を上がった。
 雨が叩く音と、二人分の靴音が暗闇の中で響いた。



















10000ヒットのリクエストで、友人の午睡さんから、お題を頂きました!
ありがとう!
お題は、「ゾロがサンジに手を差し伸べる」。もしくは「雨音」でした。
微妙にミックスさせてみたよ!(無駄に誇らしげ)
ゾロサン未満ですが、お納め下さい。
リクエスト、本当にありがとう……!!!! あなたルチパウの人なのに!!!!
ルチパウはもちろん書かないよ!(にこ)


ちなみに、微妙に出来る前のゾロサンでした。
でも、以下、こんなやりとりに発展するといいな。いずれ、な。

「なんなら、懇切丁寧に、風呂にも入れてやるぜ?」
「あほかこのエロ剣士!」
「目が見えないと、触覚が鋭敏になるって言うしなあ……?」
「あああああああほかあああ……!!!」

みたいなね!
むしろ読みたい……!





追記。
読み返してみたら、「手を差し伸べて」いるのはサンジだった! 間違えた! まあいいや!(お前)





2010/4/11

Text / Index


inserted by FC2 system