雲とチョーク





「あんた、いい加減にしなさいよね」
 教室を出ると、ナミが仁王立ちで立ちふさがっていた。
「ああ?」
「ああ? じゃないわよ。いつまでそう腑抜けてるつもりなの? もう五月よ、五月!」
 ナミは腕を組んで、足を両肩幅に開いてゾロを睨みあげている。そんな偉そうな態度は、中学時代から全く変わらなかった。変わったのはスカートの丈くらいだ。
「おい、ナミ。スカート短すぎじゃねえのか、それ」
「誰が私のスカート丈の話してんのよ。話を逸らすなボケ!」
「ボケじゃねえ」
「ボケだからボケって言ってんのよ。寝すぎで頭沸いてんじゃないの!?」
「うるせえなあ」
 うんざりして、ゾロはため息をついた。最近、周囲に騒がしい人間が増えている気がする。
「ほっとけよ」
 そう言うと、ナミは細い眉をとても嫌そうに顰めた。はたから見て、やたらと陰険な二人だろうな、とゾロは他人事のように思った。
「ほっときたいわよ、私だって。でも、あんたがいつまでもそんなんじゃ、やりきれないのよ。私の精神上よろしくないから、さっさと復活しなさい。さっさと無駄に暑苦しく活動しなさい。いいわね!」
 勝手なことを言い放って、ナミはきびすを返した。かなり怒っているようで、上履きをバシバシと叩きつけながら去っていく。そういや、あいつ何組だ? とゾロは今更ながら思った。廊下の奥なのだから、ゾロよりは若い組なのだろう。ぼんやりと見送っていると、突然その視界が揺れた。
「おおおおおい、ゾロ! 今の子誰、誰、だれだっ!?」
 肩を揺さぶられて振り返ると、金髪が目を輝かせていた。騒がしい人間その二に掴みかかられて、ゾロは本気ではっ倒したくなった。
「……なんだよ」
「なんだよはこっちのセリフだっつの! なんだよおまえ、あんな可愛い子と知り合いなのかよ! くあー、なんでこんなマリモなんかと。不公平だ!」
 ナミから解放されたと思ったら、これだ。ゾロはうんざりしながら肩におかれた手を外した。
「単なる中学の同級生だ。それ以外は何の関係もねえ」
 むしろ、それ以上になんてなりたくも無い。
「んだとォ、充分じゃねえか。ああ、お知り合いになりてェぜ……!」
 サンジは両手を合わせて拝むような格好をしている。ナミが消えた方を見て、ハートを飛ばさんばかりののぼせっぷりだ。サンジの襲撃で、結局ナミが消えたクラスはどこなのかわからない。
「なあ、マリモ。彼女の名前はなんて言うんだ?」
「ああ? ナミだ」
「ナミさんかあ……。何てすてきなお名前なんだあああ!」
 ……アホらし。
 ゾロはサンジを放って廊下を歩き出した。
 ナミに言われたことを反芻してみるが、剣道部に顔を出す気は全く起きなかった。特待生の権利を失うのは痛いが、バイトをすれば学費くらいはなんとか出せるだろう。それに、元々『剣道部』という枠にこだわりがあるわけではなかった。
 自分がこだわっていたものは、ただ一つ――。
「おい、マリモ。折角だから、一緒に帰ろーぜ」
「なにが折角だからなんだよ」
 下駄箱から靴を取り出して履き替える。振り返ると、金髪はしゃがんで靴紐を結んでいた。紐まで金色だった。おめでたい奴だ。
「お前、クラスで浮きまくってんぜ? ウソップも心配してっし。方向が一緒だから、並んで帰ってやる」
 ゾロは胡乱気に、立ち上がったサンジを見た。
「んで、本音は?」
「ナミさん情報をゲットする!」
「却下だ」
 下駄箱を出ると、夕方で柔らかくなった日差しが降り注いでくる。サンジが懲りずに後ろから着いてきていた。
「ケチんなよ。トモダチじゃん、おれら」
「いつそんなもんになったんだよ!」
「ついさっきだ」
「アホか、この色ボケ!」
 校門を出るまでに振り切ることができず、結局サンジと並んで帰る羽目になってしまった。




 サンジは、道中とてもやかましかった。ウソップと仲が良くなったようで、彼の嘘話に騙されたことや、隣のクラスのルフィに弁当を上げたら狙われるようになっただとか、ナミが美しいとか、マリモのくせにずるいだとか、後ろでいびきがうるさいだとか、寝過ぎだとか……。結局自分に対する文句ばかりが乱発されていた。
 もうすでに騒音の一種である。ゾロは右耳から左へ、スルーしていた。
「大体、なんでそんなに眠れんだ、お前は。さすがに先生連中も怒りモードだぜ。おれに起こせって目線で訴えてくんだから、勘弁しろ」
 そうなのか、とゾロは初めてサンジを見た。横を歩くサンジは、まっすぐ前を見ている。
「何でお前に言うんだ。直接起こせばすむだろ」
「……お前な、今うちの学校で一番凶悪で問題児だってことを自覚しろ」
「なんで問題児なんだ。何もしてねえだろ」
 しかも凶悪というのは何だろう。
「何もしないから問題児なんだろ! 勉強しろ勉強! せめて授業を聞くふりをしろよ。何しに学校来てんだおめーは」
 サンジは一気に言い募ると、少しだけ声のトーンを落とした。
「部活とか、入らねえの」
「入らねえ」
 ふーん、とサンジは気のなさそうな相槌を打った。
 ウソップから何か吹き込まれたなとは感じたが、それきりサンジが何も言わないので、ゾロも黙っておく。
 そう言えば、このクラスメイトのことを何も知らないのだということに、気づいた。もう一ヶ月になると言うのに、怒鳴られるか叩き起こされるか、蹴られるか、くらいしか関わっていない。
「おれは、お前なんかどうでもいいんだけどよ」
 ちょうど、土手にさしかかったところだった。サンジが先に階段を上がり、ゾロを見下ろした。
「少なくとも、心配してくれてるやつらには、ちゃんと話すべきだ。お前は余計なお世話だとか思ってんのかもしれねえけどよ。あんなに気にかけてくれてる人たちをないがしろにするのは、ダメだ」
 逆光で、サンジの表情はわからない。ゾロは口を開いて、そして閉じた。反論するには、サンジの口調は静かすぎた。
「お前が部活にはいろーが、やめよーが、どうでもいいよ。でも、ウソップとナミさんには、なんでなのかをちゃんと話してやれよ」
 いいな、と言ってサンジは歩き出す。ゾロもそれに続いた。
 目の前で揺れる金色の丸い頭を見ていると、春休みに初めて見かけた時のことを思い出した。
「散歩、してんのか」
「ああ? してるぜ。おれのパプリカはもう貸さねえぞ」
「いらねェよ、あんなバカ犬」
「はあ!? パプリカのどこがバカだ! 失礼な奴だな!」
「足短けえし」
「あほ、そりゃ犬種なんだから仕方ねえっつの。パプリカに罪はねえ」
 サンジは眉を寄せながらも、ゾロの隣に並んだ。
 散歩コースを逆回りに歩いていく。
「……じゃあな」
 公園へと続く道の手前で、ゾロは止まった。
「ああ? お前んち、こっちじゃねえの? いつもあっちの方に帰ってたじゃねえか」
 バカの癖に、サンジは目敏かった。ゾロは内心で舌打ちする。
「通学コースを変えたんだ」
「変な奴だな、お前」
「関係ねえだろ」
「そりゃそうだ」
 ただのクラスメイトなんだし、とサンジは低く呟いた。
 しかし、見上げてくる目には嫌悪が滲んでいた。いつも怒っているか、ウソップと馬鹿騒ぎをしているか、女子にデレデレしているか。そんな表情しか見ていなかったので、ゾロは不意を突かれた。
「お前はそうやって人を切り捨てる奴なんだなァ。なんか、がっかりだぜ。今日のことと言い」
 サンジはゾロを睨むと、手をあげた。行っちまえと言わんばかりにひらひらと振る
「じゃあな」
 ゾロは足が地面にくっついてしまったように、動けない。投げられた言葉は別段気にはならない。ゾロにも身に覚えがあったからだ。けれど、なぜか。サンジのあの目つきで明日も見られるのは耐えられない、ような気がした。言葉は反射的に出た。
「そっちの道は通りたくない」
 サンジは振り返る。無表情だった。
「春休みに幼馴染みが死んだ。あいつの家の前は通りたくねえ」
 サンジは目を見開いた。え、という形でぽかりと口が開く。それを見て、ウソップはくいなのことを何も話していないのだということが分かった。彼なりの気遣いなのだろう。
「……え、お、幼馴染み? 死、じゃない、亡くなった?」
 サンジは十秒くらい固まったあと、混乱したように目を瞬かせた。手までうろうろと空中を漂っている。さっきとは別人のように慌てていた。
「うそ、え、春休み。あ、そう……か」
 がしがしと乱暴に頭をかき乱す。金髪がところどころはねた。
「あー、悪ィ、気にすんな」
 取り乱しようが哀れになってきて、ゾロは言った。サンジは憮然としてゾロを見てくる。謝るべきか、黙っておくべきか、対応を決めかねているようだった。
「というわけだ。じゃあな」
 なぜかゾロの方が落ち着いてしまった。
 迂回するルートに足を向けて歩き出すと、しばらくしてからタタタ、と軽い足音が聞こえてきた。何か話しかけてくるかと思ったが、少し後ろから黙ってついてくる。
 公園から外れた道は細く、ほとんど私道のようになっている。車が通らないから、小学生が二人、チョークで地面に絵を描いていた。女の子の方が、たぶんドラえもんのつもりなのだろうが、つぶれたような狸の絵を描いていた。
「ちょっと止まれ」
 大通りに出る手前で、サンジから呼び止められた。
「なんだ」
「ちょっと寄ってけ」
「どこに」
「おれんち」
「ああ?」
 サンジはなぜか仁王立ちになっている。
「昼飯から察するに、てめェの食生活は最悪だ。今日はおれが奢ってやる」
「なんで」
「まあ、気にすんな。こっちだ。来いよ」
 サンジは勝手に先にたって歩き出した。仕方ないので、ゾロもそれについていく。何でこんな展開になっているのだろうと不思議に思っているうちに、こじんまりとした一軒家についた。
「入れ」
 断るのも面倒になってきたので、ゾロはそのまま入っていく。自分でも不可解な行動だとは思っていた。
 ワン、とアンの中間くらいの鳴き声がして足元を見れば、犬がゾロの足元をぐるぐると回っていた。ハッハと相変わらずうるさい。
 手を伸ばすと「おお、抱っこしろ」と言わんばかりに飛び込んできた。獣の体温は高い。




「そこ、座ってろ」
 通された居間は、シンプルで飾り気がなかった。革張りのソファだけがなんだか豪華だ。ゾロは小脇に抱えたパプリカとともに、ソファに座った。とたんに抱えた犬がじたばたと腹をよじって暴れる。離してやると、膝に乗って顔に突進してきた。
「何だてめェは。舐めんな、バカ犬!」
 ひとしきりハフハフと顔中を舐められると、犬はゾロの膝にうつぶせになった。前足の上に顎を乗せて目を閉じる。なんだよ、寝るのかよと思う隙間もなかった。のび太並みだなこいつ、と思いながらもその上下する腹の動きにつられて、ゾロもいつの間にか眠っていた。



「おい起きろ」
 ゆさゆさと肩を揺さぶられて体を起こすと、すでに外は暗く、室内は電気がついて煌々としていた。ゾロが寝ていた居間だけは電気が落とされている。サンジが紐を引っ張って光を灯した。明るくて、ゾロは何回も瞬きをしなければならなかった。
「飯出来たから食えよ」
 キッチンに連結しているテーブルを顎で示される。頭がぼんやりしたまま、ゾロはそちらへ向かう。そう言えば犬がいねえ、と思って見渡せば、テレビの横にあるケージの中で呑気に眠っていた。
「……これ、全部作ったのか?」
 テーブルの上は、どこの料理研究家だというくらい、皿の数が多かった。四人掛けのテーブルの端から端まで埋まっている。
「……なんかの祝いごとか?」
 異常過ぎる食卓に、ゾロは若干引いた。ルフィに弁当をあげていることや、ウソップとの会話の中で、サンジが料理が出来ることは知っていたけれど、男料理の延長くらいだと思っていたのだ。
「まあまあ、説明するのは面倒だから食えよ。ほら」
 箸と茶碗を差し出されて、ゾロは反射的に受け取った。
 それからはとりあえず無言で食べまくった。驚くほどおいしかったが、ゾロは感想を口にしなかった。サンジもそれを期待するようなそぶりは見せなかった。
 メインは豚の生姜焼き。甘すぎず生姜も辛すぎない。サイドで野菜炒め、冷や奴、芋の煮っ転がし、茄子と玉ねぎのトマト煮、こんにゃくの味噌田楽、と様々に続く。味噌汁の具はほうれん草だった。
 さし向かいで物を食べていると、何となく会話が生まれてしまうものだ。ぽつぽつと合間に挟まれる言葉のやり取りで、ゾロはサンジのことを少しだけ知った。
 両親はいなくて、祖父と二人暮らしであること。祖父は腕のいいシェフで、駅近くで店を出していること、週に三回は手伝いに行くこと。都会から引っ越してきたというくだりでは、そう言えばこのへんで見かけたことのない奴だったな、と今更ながらに気づいた。
 自分のことも話さなければいけない気がして、ゾロは両親は共働きでほとんど家にいないことだけを伝えた。今更ながら、途中でサンジが「夕飯食ってくって電話したか?」と焦ったように聞いてきたからだ。
 そう言えば、まともな飯を食べるのは久しぶりだった、とゾロは食後に出されたお茶をすすりながら思った。母親は仕事が忙しいので、特にゾロも作ってほしいとは言わない。  さすがに食べきれず、食卓の皿はどれも半端に残り物が乗っていた。
「これ、どうすんだ、残りもの」
「あ? 明日の朝に食うか弁当にでも入れるよ」
「へえ」
 大したもんだ、と思った。ゾロなど、手料理をするという発想すら持てないのに。
「うまかった。サンキュ」
 鞄を取り上げて、礼だけは言う。きっと、これが彼なりの謝罪なんだろうと思った。
 玄関で靴を履いていると、犬が寄って来た。
 じゃあな、と頭を撫でる振りをして犬を遠ざけ、ゾロはサンジの家を後にした。




 たらふく食ったせいか、家に戻るとすぐに眠くなってきた。昼間にどれだけ寝ても、夜には目が冴えてしまう。そんな悪循環を繰り返していたので、ゾロは眠気に逆らうことなく自室のベッドに沈んだ。
 ゾロはいつも夢を見る。
 くいなが「ゾロはいいね」とくやし泣きをする場面ばかりを見る。あれはいつのことだったのか、正確には覚えていない。けれど、二人ともまだ中学生だった気がする。
 彼女が死んでからずっと夢に見るので、ゾロは夜に寝付けなくなっていた。そんな繊細な人間だとは思わなかったが、死んだ人間に泣かれるのは、夢でも嫌だった。だからゾロは昼間に眠る。
 回避することは簡単だということも分かっている。剣道をして、体を動かして、疲れて眠るのだ。そうすればきっと以前と同じ生活になるのだろう。
 けれど、周囲から「くいなの分まで頑張って」と言われるくらいなら、すべてを捨ててしまいたかった。
 彼女はそんなことを望んでいない。ゾロが強くなろうがなるまいが、くいなは自分自身が強くなることだけを追い求めていた。
 ゾロも同じはずだった。けれど、ゾロにとって彼女は目標だったし、大事な幼馴染みでもあった。剣道だけの繋がりではない。でも単なる幼馴染みでもない。簡単に整理がつかない。
 きっとくいなだったら、ゾロが剣道を続けることを泣きわめいて悔しがる。私もやりたい、ゾロばっかりずるい、と。「ゾロはいいね、男の子だから」と言った時のように。
 いいだろ、勝手に死ぬ方が悪い、と思うにはまだゾロの傷は深い。
 死者がそんなことを思うわけがないということも分かっている。そんな思いもすべて消えること、それが死だとわかっている。
 苦しむのは、置いていかれた人間の勝手なのだ。けれど、きっと特権でもあるのだろう。




 目を覚ますと、カーテンの隙間から光が漏れていた。状況が一瞬わからなくて、ゾロは仰向けのまま停止していた。
 鳥のさえずりまで聞こえる。光はまだ弱く、夜明け直後の雰囲気が伝わってきた。
 頭は不思議と冴えている。こんなにはっきりするのは久しぶりだと感じた。
 ふるふると頭を振ってから起きあがる。カーテンを開けると朝日が目を射した。
 反射的に涙が出る。
 家の屋根の隙間から覗く太陽を見ていたら、不意にジョギングでもするかと思い立った。
 ジャージに着替えて、外に出る。
 少し考えてから、前回と同じコースを走る。すぐに息が切れて、スピードを落とす羽目になった。4月とは気候もだいぶ変わった。すでに汗が流れている。身をよぎっていく風はぬるい。
 常連の顔もぽつぽつ見かけた。じいさんはまた猫を連れていた。ゾロは猫に飛びかかられないようにゆっくりと迂回する。
 土手に上がると、そこで限界だった。
 深く息を吸う。なまったもんだ、と自分で苦笑する。何しろ、ずっと寝てばかりいるのだから当然だった。
 いつも寝転がっているポジションへ行って坐る。しばらくすると、汗はすっと引いていった。
 風が気持ち良かった。
 寝転がると、飛行機雲が見えた。こんな早朝からご苦労なことだ、とゾロは感心した。
 飛行機雲がどうやってできるのか、昔はとても不思議だった。
 ゾロは飛行機雲がどうして出来るのかに興味があったが、くいなは空に雲が滲んで消えていくのを見るのが好きだった。
『空のキャンパスに溶けていくのよ』
 いつか飛行機雲で空に絵を描けないかしら。
 空を指差して、くいなは笑っていた。




 サンジは、それから特にゾロに何も言わなかった。
 しかし、彼の言うことも一理あったので、ウソップとナミには「もう少しだけ待て」とだけ言っておいた。
 ウソップはほっとしたようにうなずき、ナミは「なんであんたはそう偉そうなの」と嫌そうな顔をした。けれど、それから二人はゾロを放置してくれている。
 ウソップから聞いたのか、サンジは一言、
「やればできんじゃねェか」
 と笑った。反論しようとしたが、その時は口に物が入っていたので、機会を失ってしまった。
 そう、ひとつだけ変わったことと言えば、サンジがゾロの分まで弁当を持ってくるようになった。
 パンを買うなら、その金寄越せ。と最初は恐喝まがいなことを言われた。サンジは慌てて言い直して、材料費にするから、とゾロの前に弁当を置いた。
 そこらで売っている弁当よりはるかにおいしいので、ゾロは内心で大歓迎している。口に出して言わないのは性分だ。
 サンジの飯を食った日、一度ぐっすり眠れたのが良かったのか、翌日の授業はあまり寝なかった。それでも癖で半分くらいは夢の中だったのだが。
 授業中に目が合った教師は、驚いて後ろの黒板にぶつかったくらいだ。
 夜の夢に、今でもくいなは当然のように出現する。けれど、泣いているくいなはだんだんと減っていった。
 昨日の夢では、くいながパイロットになって、空に星を描こうとしていた。失敗してただの四角形になっていたから、ゾロは笑った。くいなは案外不器用だった、と思いだす。
 そう言えば、おにぎりも三角に握れなかった。いつも手伝ってはいびつな俵型に仕上がっていたものだ。




 帰り道はまだ迂回するルートをゾロは選択している。
 五月も終わりになると、夕方でも汗ばむようになった。学ランの上着を脱いで、公園手前の路地を歩いていると、いつかの小学生がまた地面に絵を描いていた。
 男の子は飛行機を描いている。その隣で、妹らしき子供が、やっぱりつぶれたドラえもんを描いていた。飛行機よりも三倍くらいでかい。
 飛行機雲で描く以前に、絵の練習をするべきだったよなァ。
 絵も下手だったぜ、あいつ。
 思いだすいくつかのことを振り返りながら、ゾロは笑う。
 笑うことができたと気づいた。



 六月になったら、道場へ行こう、と唐突に思った。
 くいなは盛大に悔しがるだろう。





2009/09/04

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